高濱コラム 『愛としつけ』

『愛としつけ』2017年8・9月

 先日、ある会合でのことです。社会的にはまばゆいほどの大活躍をしている一人の紳士から、相談を受けました。「妻の家が、しつけのためなら叩いても良いという方針なんですよ。子育ては妻の基準に任せているのですが、私は『わが子に手を上げるということは絶対してはいけない』という両親に育てられていて、実際一度も叩かれたことがないので、どうしても気になるんですよね」
 しつけというと、わかっている気になりますが、いざ親になり、思い通りになど決してならない子育てのただ中に放り込まれると、どうするのが良いのか迷ってしまう方も多いものです。仕事では破格のパフォーマンスをしている方でも、子育てにおいては皆と同じように悩んでいるのです。
 「三つ子の魂百まで」ではないですが、小学3年生くらいまでに形成される人格の基礎は本当に重要で、その要諦は「愛としつけ」といえるでょう。どちらも聞きなれた言葉ですが、案外奥は深いものです。
 愛とは親や祖父母から受ける愛情のことで、「私は愛されているなあ」と感じられること。煎じ詰めれば、「親(特に母親)のまなざし」と、「スキンシップ」に尽きるでしょう。
 まなざしの差は、子どもからすると火を見るよりも明らかです。言葉ではどんなに「同じくらい大切よ」と言われても「私と弟を見る目が違うじゃないか」と思ってしまうもの。小さい方をかわいいと感じ、少し優しいまなざしで見つめてしまうのは自然の摂理です。しかしだからこそ、寂しく感じている側の子にも一対一の時間をきちんと作って、膝に乗せるなり手を握るなり、ぬくもりを感じる「動物として落ち着く行動」をとってあげることが効きます。先般ある企業でおこなった講演会の感想でも、「帰宅するときょうだい喧嘩をして怒られた兄が癇癪を起して号泣していましたが、先生の話を思い出して動物のようなスキンシップをとってみたところ、みるみる気持ちが落ち着いて、残していた宿題を始めることができました」とありました。
 この年代は、自分からすり寄ってきてくれますから、基本はそれを拒絶せず、しっかり抱っこしてゴニョゴニョ遊びに付き合い、気持ちを受け止めてあげればよいのです。しかし、例えば三人以上きょうだいがいる家の二番めで、「この子は手がかからないんです」「お利口ね」というポジションを得た子は、実はきょうだいを押しのけて奪い合うのが自然である母とのスキンシップが不足しがちなのです。関西でおこなった講演会の感想にも「二番めの子はまさに手のかからない良い子と思い込んで育てたのですが、成人した今、上下のきょうだいと違って人間関係に自信のない大人に育ちました。」とありました。どうでしょう。甘くないなあと、思い当たる部分もあるのではないでしょうか。
 しつけとなるとさらに難しい。一つは、それが「真実」ではなく「信念」だということです。例えばたいていの親にとって、「毎日早起きすべきだ」という方針は、正しいものに感じられるでしょう。しかし3年生の男の子が実際に親に言った言葉は「なんで?隣のコンビニのおじちゃんは、朝寝て夕方に起きているよ」というもの。その反論に、どう答えますか。「挨拶は大事」「嘘をついてはいけない」「約束は守るべきだ」など一般に当たり前と思われるしつけの方針も、理屈だけで追求すると、人々が戦い生き抜いている現実の前には、脆い面もあるのです。
 そこで必要なのは、これは「いつでも通じる真実」ではなく、「あなたが生き抜くためには、必要なこと」だと信じてしつけることです。そして、もともと幾ばくかの理不尽も含んでいるものだからこそ、言い切ってあげることが大事なのです。
 さらにしつけにおいて重要なのは、両親が揃っている場合、二人の方針が一致していることです。しつけこそ、前述した意味でお互いの「常識や文化」のぶつかり合いですから、半年前の当欄で書いたように、対立するとお互い譲れなくて決定的な亀裂になることもありえます。昔のように仲裁役または緩衝役としてのご近所さんの存在がなくなった中で、若夫婦がうまく気持ちを共有することは、最初のお父さんのように、案外難しいのです。
 私がお話ししているのは、「たとえ意見が違っても、ぶつかり合っているうちは花ですよ」ということです。上の子が3~4歳という時代から、大学生・社会人になるまでの家族の様子を、庭の樹木のように真横からたくさん眺めてきた経験からすると、「あの人に言っても無駄」という話し合い拒絶の姿勢は、たいてい言っている本人の不幸で終わります。思いはぶつけた方がいい。ぶつけて一生懸命気持ちを伝えて、それでも伝わらないこともある。結果、離れるという結論もあるでしょう。人間ですから。ただ、その別れの後味は最悪ではないし、別居しても協力できる部分はあります。しかし、交渉拒否という姿勢は、長い我慢だけで実りのない時間が過ぎ、結局は冷え冷えとした離別につながるのがオチです。
 異性だからということもありますが、根本的に育ちも家庭文化も異なる、もとは他人である夫婦が一緒に暮らすときには、「お互いの気持ちを想像し、すり合わせていこう」という意思なくしては長続きしません。特にしつけは、真実ではなく信念であり文化。夫婦で決めるもの。わが子への思いは共有できるはずですから、まずはそこを起点に、しっかりと向き合って話し合うことができるといいですね。    

花まる学習会代表 高濱正伸