道場コラム 『ダメだ!だからどうする、に学習がある』

『ダメだ!だからどうする、に学習がある』 2018年4月

 「なぞぺー」の迷路を子どもたちがやっていると、考えるということの第一歩がよくわかる。適当にあたりをつけて迷路を進み、途中間違えたことに気づくと、ちょっと考えて、もう一度振り返ってやり直し出す。ダメだ、だからもう一度。どこまで遡るかを見当しながら、やり直す。これを当たり前として受け止め、何度もやり直す。これが試行錯誤。あれこれ、より良くなるようにやってみること。これを自然にやってしまう習慣を身につけることが大切。今後の“考える力”を伸ばすうえで大きく影響する。一方、「ダメ」となった瞬間イラっとして、考えること自体が萎えたり、うせたりする子もいる。自然体で当然の如くやり直すか、イライラするか。この差が思考力を伸ばすうえで大きい。ダメなら、素直に受け入れて「もう一度」と思うかどうか。
 遡って、「なぞぺー」を子どもたちに渡す瞬間に、考えることへの姿勢がわかる。さあ解いてやろうと、即、取りかかるか。一瞬の躊躇、苦手意識を表に出すか。できる・できないの前に、取りかかりの意識の差が大きい。花まるの「なぞぺー」が思考力教材として成功しているのは、考えることを好きにさせていることであり、さあやろうという意欲、ダメならやり直す、試行錯誤を当たり前のこととして意識下に置いていることである。「なぞぺー」を学習道場や、公教育の現場でやっている。すると、「考える力を伸ばす」をただのお題目ではなく着実に実践できているのは、「なぞぺー」という教材が花まるにあるからだと実感する。何よりも「なぞぺー」を解いた喜び、「できちゃった」体験が、学習意欲を高める。
 逆もある。順調に課題をこなしていた子が、ある問題で躓いた。すると、もう取り組もうとしなくなる。考えることを停止させる。褒められることを求めすぎて、“外側から”の要因で学習意欲を高めると、いざ躓いたときに学習への拒否反応を起こす。できない、間違えた。このことに必要以上に“負のイメージ”(過度に叱る、極端にガッカリした親の姿をみせる)を強く植えつけられると、これまた、考えること、学習への拒否反応を示す。
 拒否反応を示すのも、低学年のうちは、私たちが見てもわかりやすいが、学年が上がっていくと次第に水面下に入り、巧妙な「できたふり」や「ごまかし」が生まれ、狡猾になってくる。その場を取り繕い、自分の弱さを隠したくなるのは人の性だが、これは学習に関しては最も邪魔なものだ。低学年は問題が易しくて、できて当たり前。しかし、できて当たり前から抜け出せないと高学年になって学習の仕方が誤ってくる。
 できない・わからない不安定な状態は誰もが好まない。この不安にどこまで向き合えるか。不安定さを感じられるか。できていない、わからない、覚えていない不安定さから逃げないことが学習のはじまりだ。そして、ここが最も効率のよい学習課題だ。それは自分で正直に感じるしかない。素直、正直が学習で大切なのも、対他人からの評価ではなく、自分の感性に耳を傾けるためだ。たぶんわかっていないな、覚えきっていない、書けないな。こういった不安を、自分で正直に感じ取って、解消しようとするから学習がある。学べば学ぶほど不安になる。学習の本分は安定にはない。
 順風満帆な発達はない。“逆境”や“不安”にこそ教育のはじまりがあるという想いで、学習道場を設けた。わからない、できない、だから学習なのである。「できない、わからない?よかったね、学習するところが見つかって。」皮肉ではなく、当然の、励ましなのだ。学習の本分を見失わなければ、伸びない子はいない。

西郡学習道場代表 西郡文啓