高濱コラム 2005年11月号

前回のこの欄「夕焼け」の文章については、今までにない反響がありました。私も見た、娘たちと感動して見た、内容に共感した、人生について考えさせられたと、多くのメールやお手紙・お電話をいただきました。そして、あの空は、台風がくれた特別のプレゼントだったんだなと再確認しました。会員向けの場とは言え、書いた文に反応があることは賛否を問わず嬉しいものです。お手紙等くださった皆さん、ありがとうございました。

さて、前回は「これでよし、と自分で決める」という遊び心の中心点について書きましたが、今回はその前提ともなる「感じる心」について、掘り下げてみます。要は「感じる心」を持っていないと、遊び心も持てないし、いい人生にならないと言いたいのですが、例えばこの春のことです。

雪国スクール終了後、アルバイトで参加してくれた学生などリーダーの解散式で、一人ずつ感想を言ってもらいました。一見誰もが感動したということを言っているのですが、心の目でしっかり見れば、大きな差がありました。ある学生は、浅薄でステロタイプな、どこかで誰かに聞いたような言葉を述べている。一方は、一番感じて欲しい急所をギュッとつかみとってくれている。

全く同じ体験をして、こんなにも違うんだなと痛感させられました。そしてこれが毎日のことなのだから、年をとってもなかなか積み上がらない人と、自分の言葉をどんどんためて魅力を増していく人との、差が開くのは、当たり前だなと思いました。
また、例えば正社員採用の志望者にディスカッションをしてもらったときのこと。ほんの10分ほどなのに、日ごろ何に関心を持ち、何を美しいと感じているか、そのセンサーの感度の違いが、はっきりと感じられて、驚きました。「何か言わねば」で出てくる借り物の言葉は残酷なくらいに黒ずんで映り、日常で感じ取ったことを素直に表現する言葉は、キラリと輝いて見えました。当然、評価に直結します。

そんなことを考えていたこの秋、本職である学習について勉強すべく「脳」に関する本を読んでいて、面白い文に行き当たりました。記憶の定着するあれこれを理路整然と述べたあとに、「結局は、『興味を持っているもの』は簡単に覚えられる」「覚えたい対象に興味を持つことが大切」と続き、そして最後は「道路の花を『キレイだなあ』と感動する『童心』が大事」と結ばれていたのです。単純に学力の定着というものを追求しても、また、同じ結論に達しているのです。

それでは、子どもの感じる心を育てるには、どうすればいいのでしょうか。

この文章の締め切りの日に突然訪問された、私の師匠が、はからずも自らこのことに言及されました。「子どもの感じる心を育てるにはね、お母さんが口に出すことが大事なんだよ」つまり、道端の花を見て「キレイだなあ」と感じる心を子どもの中に育てるには、お母さん自身が、感じたこと・発見したこと・「おお」と思ったことを、自分が感じるだけでなく、あえて口に出して言うことこそがポイントであるというのです。小学生時代までならば、自然と口真似するでしょう。一度でも口に出して言うことは、記憶論からしても深くその人の中に刷り込まれることは、明白です。

秋は、美がそこら中に満ち満ちています。「葉っぱがずいぶん黄色くなったねえ」「空が高いねえ」「あの赤い星大きいね」と、たくさん語りかけましょう。

花まる学習会代表 高濱正伸