高濱コラム 2006年 4月号

昨夏に、九州のある町の市会議員さんたちの訪問を受けました。「公教育が変わるのを待っていたら、わが子はチャンスを失ったまま、成長し終わってしまう。花まるの評判を聞いたので、何か参考になればとまいりました」とのことで、熱心に授業を見学されました。その中にいた高齢の市会議長さんが、終了後の座談で、現代の最重要問題として、引きこもる中年世代・青年世代の話題に触れて、しみじみとこうおっしゃいました。「私たちが失敗したんですよ。子どもにだけは、ひもじい思いをさせたくないと思って育ててしまったんです。『しまった』と思ったときは、遅かったんです…」と。

確かに今、というよりこの10年以上にわたってずっと重大な問題であり続けているのが、ニートや引きこもりの問題です。成人してもなお、働かなくてもいいと本気で考える人、働きたくても心の面で耐えられない人、家族以外の人と交流できない人たちを、何百万人も育ててしまったことは非常に深刻です。この現実(教育の失敗)から目を背けず、少なくとも次の世代の子どもたちに、自活できる生命力を身につけさせることは、壮年世代の責務です。

花まる学習会は、元々の立脚点からして、このことを訴えています。「メシを食える人」を育てたいと、第一回目の説明会から一貫して言い続けています。そのことが一番大きな問題であって、だからこそ計算という作業ではなく「思考力」であり、作文を始め考える礎としての「国語力」であり、失敗やもめごと込みで、成長するための豊富な経験の場としての「野外体験」を、柱としてきました。全ては遊び心に乗せて伝えねばならない、と確信していますので、現場は笑顔に満ちていて、分かりにくいかもしれませんが、私は、ずっと切実な気持ちでいます。「意味のあることをやれているだろうか」と。

その思いは、駅伝のたすきに似ています。今年の正月の箱根駅伝で、一人の選手がフラフラになりながらたすきをつなげようと走る姿に、心打たれました。健康を合理的に考えれば止まってしまった方がいいのですが、彼をがんばらせるのは、「皆がつなげてきたものを、自分のところで断ちたくない」という、人に備わった根源的な意志でしょう。脈々と先祖たちがつなげてきた命のリレーに、我々は誠実でしょうか。本当に、次の世代に、意味ある生きる力を渡せているのでしょうか。

卒業の季節です。長く在籍してくれた子の旅立ちを思うだけで、胸が熱くなります。彼らには、中学・高校時代という素晴らしい青春のときを、満喫してほしいと思います。何事か熱中するものを見つけ、集中力を持って学び、涙も笑いもある多くの経験をたくさんの友だちと共有し、よい音楽や芸術に触れ、人生をどう生きるべきかしっかり考え抜くときにしてほしいと思います。そして、ただ自立へ向けて、自ら、心と頭と体を鍛え上げるような人になってほしいと思います。

花まるで、意欲的に学ぶことを身につけ、季節ごとの野外体験を存分に味わったことは、必ず活きると信じています。彼らの未来に、幸多からんことを。

花まる学習会代表 高濱正伸