高濱コラム 2006年12月号

伝聞ですが、ちょうどこんな話を聞きました。鰯の商売で成功した人の話です。弱い鰯のためと考えて、できるだけ海の状態に近く水質などを整えてあげて輸送しても、みんな死んでしまう。ところが、あることをしたら生きて消費地まで到着した、さあ何をしたのでしょう。答えは「天敵を入れること」でした。「必死」な状態を作ることのみが、生きる力を継続させたという話です

昨今のいじめ報道を見ていると、どんどん子どもたちの水質を整える方角に議論が流れているように思います。メディアでターゲットにされることは恐怖ですから、本音を言えないのかもしれませんが、「かわいそう」に重心を置いた意見が多いようです。しかし、そんなことでは決して問題は解決しないでしょう。人と人がいて、どちらかが、嫌な思いをしているなどということは、日常ですから、それが定義だとしたら、いじめなどなくなるわけはありません。

「いじめられていたら、いつでも先生に相談して」などというアピールも笑止千万です。思春期の子どもは、その苦悩を人に言わないものです。言ったらもっともみっともないと考える時期なのです。亡くなった斉藤茂太さんが、30年近く前のテレビで、思春期には「秘密を持ちなさい」と母親に言われたと言っていました。これこそが的を射抜いた一言で、親や大人から距離をとって、人生の疑問や苦悩と付き合うことで、哲学を磨き、内面世界を充実させていく時なのです。

現場の感覚としては、どんな子でもどちら側にもなりえます。子どもたちに伝えねばならないのは、はねのける強さを持つことです。「持ちなさい」と口で言うのではなく、身につけさせることです。そしてそれは、つらい経験を、自ら乗り越える経験によってこそ身につくのだと思います。

このところ掲載された活字の中で、一番光っていたのは、河相我聞という人の「僕は、いじめる子供より、いじめられる子供の方が将来有望だと思う」という言葉です。私も「もめごとはこやし」といつも言いますが、逆説ではなく、世界から一人見捨てられたような気持ちになって、そのさなかでは本当に死にたいと思うような境遇こそ、いったん乗り切れば、ものすごい精神的な力になります。他人への思いやりも深みを増すでしょう。

「生きる力」とは、「苦難や試練を、はねのけて生きる力」です。そしてもっともつらい苦難は、大抵「人間関係」で起きます。現代の本当の問題は、いじめがなくならないことではなく、昔は耐えられた試練に簡単にへこたれて、社会に出て行けなくなる人が増えたことでしょう。我が子に生きる力を与えることを考えねばなりません。それは、必ず起こる「死ぬほどつらい目」に遭ったときに、「お前、いじめられてるの?」と問題化したり詮索することではなく、いつも通りの家庭を維持して、心の休息の場を与えることでしょう。「こうしたら」というアドバイスよりも、大人が経験した事例を話すのも効果があります。

私の場合、小2だったか、ある芸能人が親に家を買ったという話から、親孝行論になったときの「なーん、あんたたちが元気なら親孝行。親より後に死ぬことが大事たい」という母親の一言は、「死んではいけない」という信念の土台になったように思います。

花まる学習会代表 高濱正伸