高濱コラム 2007年 4月号

説明会ラッシュで、2・3月は例年睡眠を削る時期なのですが、おかげさまで今年は忙しさに拍車がかかり、ようやく山場を乗り越えたなと一息ついた夜のことです。好物のおでんと日本酒を一杯。それだけなのですが、朝起きてびっくりしました。いつも片付けるコップや皿はテーブルの上にそのままで、おでんの鍋を置いた電熱器だけが、何を思ったのか冷蔵庫にしまってあったのです。どう考えても自分しか犯人はいないし、今までにないことなので、ついに若年性の認知症でも始まってしまったかと恐怖に近い気持ちになりました。

ただ、自分は怖くても回りには笑い話ですから、6年生の授業でそれを言うと、大笑いで僕も私もと経験談を話してくれました。「この間、お風呂に入って体洗い出したら、靴下をはいたままだったんです」「僕なんか、湯船につかったらシャツだけ着てた」「右足と左足で違う靴はいてたことあるよ」「私なんか、寝るときあんまり寒くて5枚重ね着して寝たのに、朝起きたら、ぜーんぶ脱いでしかも枕元にきちんとたたんであってびっくりした」等々。仲間はいるものです。

さて、そこまで寝る間も惜しんで何故がんばるのかと聞かれることがあるのですが、「もっと」と思う気持ちがどうしても湧き上がってくるとしか言えません。まあ、私程度は社会人としては並のがんばりだと思いますが、現代の問題意識として、「若者のハングリー精神の不足」はよく言われるところです。すでに30代40代が指摘された世代だし、長期ひきこもり問題のベースにも横たわっていると思います。

働くことは理不尽と格闘することと言ってもいいのに、ちょっと嫌なことがあるとすぐに「そうまでして働きたくはない」などと言い放つ。その言葉はとどのつまり「パパやママに食わせてもらえばよい」という意味です。本当にそれでいいわけはありません。

学習でも伸び悩む子のひとつに、「今日の一題に直面できない」という症状があります。あこがれの学校はあるし、がんばりたい気持ちはある。だけど、今、目の前の一問に取り組む程度のストレスと向き合えない。ぼんやりと夢は見るが、今日の一個のレンガを積み上げることができない背後には、がんばらなくても、どうにかなるという逃げの気持ちがあるからでしょう。真に彼のことを思えば、許すわけにはいきません。

楽をして生きていけるほど世の中は甘くありません。どころか、人生には逆風が吹くことがままあります。厚い壁に進路をはばまれたり、自分の限界を感じたり、誠意をつくしても理解されなかったり、親しい人が離れていったり・・・。それでも何でも「負けるもんか」「生き抜いてやる」と、気持ちを奮い立たせて、苦しいからこそ「もっと前へ」と思える人に育てたい。だが、現代において、その精神力育成こそが子育ての最大の難題に見えます。

現代の課題とは、「ハングリー精神の不足」を通り越して「満腹精神との戦い」なのでしょう。

花まる学習会代表 高濱正伸