高濱コラム 2007年 7月号

道を歩いていると、すぐ目の前を音もなく、何かが落下しました。見上げれば、頭上にせり出した緑葉の中に青い果実がいくつか見えます。降ってきたのは梅の実でした。その驚いて見上げて目を戻すまでのわずかな時間に、ワッと色んな連想が思い浮かぶという経験をしました。

一、 そう言えば、春先は幹ごとにとりどりの白や赤の花でいっぱいだったな。一輪の開花で春の到来を告げ、満開の季節には目を楽しませてくれ、実は様々な形で食品として役に立つ。梅はありがたい木である。

二、 ちょうどこんな風に、目の前でリンゴの実が落ちたときに、ニュートンには、「落ちた」のではなく「地球とリンゴがお互いに引きつけあった」という、万有引力についてのひらめきがおとずれたと習った。確かに、目の前で何かがふいに落ちる瞬間って、ある集中をもたらすな。

三、 この時期の雨を、梅雨と呼ぶ。そう名づけるくらい、人間たちは梅の実には目を奪われ、関心を持ってきたんだろうな。

四、 毎朝の食卓に、味噌汁やごはんと共に、梅干は欠かせない。そう言えば、かつては手づくりで梅干をつくっていた頃もあった。あの頃も「忙しい」とは言っていたけれど、まだ余裕があったんだな。あれは、本当にうまかった。「とった寿司より、手間ひまかけた手料理こそ、最高のもてなし」と言われるのと同じ意味で、どんなに高い商品を買うよりも、手づくり梅干こそは文化的で心豊かな食品のひとつだろう。

五、 「マイマイねじ巻きまみむめも、梅の実落ちても見もしまい」って、何だっけ。そうだそうだ、発声練習用の北原白秋の詩だった。

六、 鼻先10センチくらいを落下したな。あと0コンマ何秒か早く歩いていたら、ちょうど頭にコツンと落ちていた。一つの事件で、ちょうど崩落や爆発のちょうどそのときに当ったか、ちょっとズレたおかげで命拾いしたかは、全くの偶然の差である。事故や重病に偶然当らなかったり、当っても治療の過程で致命的な側に転がらなかったりしたことの連続の結果として、今たまたま運よく生かされているだけなんだな。感謝をしなくちゃね・・・。

七、 豊かな連想ができる人は、比喩が上手だったり、話の展開に意外性があったり、強い印象を与えることができたりと、楽しませひきつける話ができる人である。それは「魅力」になる。私の思いつきなど、平凡なものばかりだが、子どもたちには豊かな連想力を身につけてほしい。

それは、「経験量」と「学んだ量」に比例する。やはりたくさんの原体験を積ませてあげることほど、子ども時代に大事なことはない・・・。

いつも通りの結論に行き着きました。
さて、件の1つぶの梅の実。梅雨入り宣言には似つかわしくない陽光のもと、熟した黄色い果肉をさらして、輝いていました。

花まる学習会代表 高濱正伸