高濱コラム 2007年 11月号

「私は、さんざ外遊びばかりやったけれど、算数が苦手だった。」という論拠をもとに、「子どもには外遊びこそをやらせるべきだ」という私の主張に、批判のようなものを書かれることがあります。ネット上などでは、一方的に書評として書き込まれて反論のチャンスがなかったりするので、どこかで一度はしようと思っていたのですが、ちょうどこのコラムは、HPにも掲載されるので、今回をそのときとします。

 まず一点目は、「持って産まれた能力差」を、一切否定はしていないということ。というよりも、一つのモノサシを持ち出せば必ず差がつくのが当たり前です。「苦手」という意味は、「他人と比べて苦手」ということに他ならないですが、その意味で、「外遊びをすれば、みんなが同じように算数の思考力が伸びる」わけがありません。

私がこれまで主張したのは、①計算も大事だが思考力こそが大事だ。②思考力は「見える力」と「詰める力」に集約される。③それはペーパーよりも体験で伸びる。④体験は「やる気の中で」「五感をフルに働かせる形で」するものが良い。⑤とすれば、子ども時代に最も効果的なのは、室内でやるパズルなど他にも手があることはあるとしても、やはり外遊びである。ということです。

 つまり、私が言いたいのは、どんな能力差があれ、その子の思考力をその子なりに伸ばすのは、生活と遊びを通した体験が一番で、中でも外遊びが望ましいというだけのことです。外遊びによって、その子の力がもっとも伸びることは確かですが、他の人より成績が上がるということではありません。極端な話、全員が外遊びをすれば、その中で実力差はあるでしょう。しかし、全体の平均値がアップすることも間違いないと思っています。

 二点目。冒頭の批判については、別の角度からも意見があります。それは、「『外遊びをしている』、と大雑把にくくってしまうと見失うが、子どもたちをよく観察していれば、その質にも様々な違いがある」ということです。リーダーとして中心で企画を立てたり先導している子、そういう強い人の意見に従うだけの子、まわりでうろうろしているだけで、あまり活き活きと動いていない子など色々です。「苦手」になった理由として「外にはいることはいるが、主体性や創意工夫・意欲という面で、足りない遊び方だったかもしれないということです。

 この点では、大きな問題点も指摘できます。よく言う、ガキ大将を中心とした異学年での遊びが町から消えてしまったということが事の核心ですが、そのおかげで、遊ぶというと同級生だけ。すると、リーダー君は何年になってもリーダー、付き従うタイプは何年たってもそのままということになるわけです。異学年であれば、幼稚園や1年生時代はついていくだけだったとしても、学年が上がればリーダーシップを発揮せざるを得ない状況が、みんなに必ずおとずれたのに、今はない。もしかしたら、そういうことも思考力のつかなかった原因かもしれません。

花まる学習会代表 高濱正伸