西郡コラム 『軋轢から』

『軋轢から』2011年9月

サマースクール・ワンダーアカデミーは、3泊4日、自分たち(班編成のチーム)で遊びつくすことがテーマのコース。子どもたちはよく遊ぶ。遊ぶことに貪欲で、次から次に何かを見つけ出す。大人から見ればくだらない遊びでも真剣になる。遊びには常に主体的である。遊びつくす子どもたちを見ていると、このバイタリティーがあれば生きていけると感じる。子ども時代に遊ぶこと、これが今必要だとつくづく思う。

川原に行けば、大小様々な石があり、それを乗り越えて川まで辿り着く。石の上は滑る。バランスを崩す。子どもたちは考えながら移動をする。だから川遊びをする。堰から飛び込めば、溺れるかもしれない。その危険性はあるが、飛び込む子どもたちは次にどう面白く跳んでやるか意欲満々のパフォーマーと化す。秘密基地では思い思いの基地を作り出す。創意工夫、どう考えるか子どもたち次第。石でかまどをつくり、火をおこし、食材を切って、カレーを作る。このカレーは実においしい。しかし、木や竹は刺さる、火や包丁には火傷や切り傷を伴う危険性がある。遊びには危険が伴う。危険を回避し、安全策を講じると、遊びの面白さは半減し、経験にならない。サマースクールの難しいのは、“ぎりぎり”まで危険を感じさせること、しかし事故をおこしてはいけないことにある。日常ではできない、自然の中で遊びつくすことを十分に満喫してほしい、しかも無事に。解散時に、親御さんにお渡しするとき、ただただ安堵するのみ。

さて、今回のサマースクールでもうひとつ再発見したことは、チーム(班)で行動することに意味があるということだ。小学3年生から6年生で6,7人のチームを組ませ、行きのバスの中で、実際のメンバーを知る。自分以外のメンバーはどんな子どもたちなのだろうか。大人と違い、手探りの状態は少なく、比較的自分を出せるようだ。まずは好意的に打ち解ける。チーム(班)に一人ずつリーダー(講師)がつくが、3泊4日の日中どう遊ぶか、何を遊ぶかを、自分たちで決めさせる。このころになるともっとお互いを知ることになる。協調と反発との狭間が生まれる。何をするか、まとまるチームは、雰囲気がよくなり、信頼が解放感をうみ、自分たちで自分たちをさらに楽しませる。何をするにも意見がわかれるチームは、険悪なムードになる。サマースクール自体が楽しくなくなる。
リーダー(講師)はどのタイミングで介入するか難しい判断を迫られるが、極力、自分たちで解決するように調整することを目指す。ここが肝要で、リーダーである大人が行程を決め、それに従って、楽しく遊ぶこともできる。サマースクールは、子どもに楽しかったと思わせること、こうでなくてはならないと思っていた。しかし、自分の主張が通らない、反対される。つまらない時間をすごし、浮かない顔になる子どもたちをみて、これもサマースクールだと感じた。ワンダーアカデミーのコースは自分たちで日程を決めさせるからこそ揉めることもある。サマースクールは楽しいだけではない。3泊4日寝食をともにする、密度の濃い人間関係を経験することにサマースクールの意味がある。

サマースクールは、親元から離れ、生活を共にするチームを組む。否応無しにチームで行動する。わがままは許されない。人間関係の縮図は軋轢を生む。この経験がいい。我を通し続ける子もそれでは楽しくないことも自覚しだす。“説教”をしても反発する年代、自分で悟るしかない。そして、何をするか、意見が分かれるチームも共に遊ぶうちに次第にわだかまりが軽減され、我を通すより、共に遊んだほうが楽しいと思うようになる。遊びはその意味でも大きい。2泊3日なら修復が難しいが、3泊4日なら不仲も修復できる時間がある。それでもぎりぎり。もっと長く、5泊、6泊でもいい、その時間だけ逞しくなる。サマースクールの説明会で、「揉め事は肥やし」というのも、「人間関係の軋轢」を経験してほしいから。この経験が人を見る目を養う。この人はどんな人か、どんな付き合い方をすればいいか。人と人との間合い、関係の構築は経験でしかつくれない。酸いも甘いもかみわける。

私たち大人が自分自身の人生を振り返ってみても、常に人と人との関係に生きてきた。近所の子ども仲間からはじまり、幼稚園(保育園)、学校の級友、同学年、異学年、仕事、そして親兄弟姉妹、横と縦様々な人間関係で生きてきた。社会で生きていく上で避けられない関係でもある。うまくいくことだけではない、楽しいことだけではない。なぜわかってくれない、なぜ通じない、辛いことも傷つくことも多い。人間関係は軋轢を生み、煩わしい。だから避ける。そのほうが気楽でいい。しかし社会からは孤立していく。社会から孤立しては生きていけない。社会は非生産的になる。そして自分は人に生かされていることを悟ってから孤立から抜け出せる。

今、サマースクールから帰り、また教室で子どもたちと学んでいる。人と人。教える立場は表面的なもの。実は教えることに意味があるのではなく、学ぶ子どもたちがいるから自分は生かされている。サマースクールで自分の意見が通らなかった、悔しい思いをした子どもたちも、その経験がいつかは自分が生きている証だと思うようになる。人に生かされることも、人間関係の軋轢からはじまる。