高濱コラム 『夏』

『夏』2011年7月

梅雨も明けていない6月後半のある朝、玄関の扉を開けると、前日までと全く違う強烈な太陽がカッと照りつけていました。それを見た瞬間、毎年のことですが、「よっしゃ、来た!」という思いとともに、自分の中で夏スイッチが入りました。どこまでも走っていけそうな感覚というのか、さあこれからまた楽しい夏が始まるぞという感じ。

もちろん年齢も年齢ですから、半分錯覚で、昔ほどの体力はないに決まっているのですが、ワクワク感が噴出するこの感覚は、夏はいつも良いことばかり起こったという、52年間の経験によるものでしょう。

子どもの頃の夏休みは、午前中は山に入り込んで、目星をつけてある木々を蹴ってクワガタを落とし、近くの中学の校庭で野球をし、午後は毎日毎日川遊び。ひたすら外で遊びほうけていました。中学高校の夏といえば、部活の合宿や大会の記憶。苦しくもありましたが、手ごたえ十分の充実感を、流れ落ちる汗とともに感じていました。

多分一生で一番苦しかったのは、高校一年の野球部の夏合宿の初日です。カンカン照りの日陰のない他校のグラウンド。水を飲んではいけないという無茶な時代でしたし、「死ぬ」と思いました。キャッチャーマスクをつたって流れてくる汗をなめながら「夜になったら脱出して逃げよう」と思ったことを覚えています。しかし、夜になると魅力的な先輩たちが可愛がってくれるので、すっかり気を取り直して元気に歌を歌っているのでした。

花まるを始めてからの夏は、もちろんサマースクール。18年間で、多分他の人が人生で感じる100倍くらいの量の感動・感激を、子どもたちからもらったのではないかと、本当に思っています。川や海の水面のキラメキ、太陽、子どもたちの歓声。みんなが可愛くて可愛くて、この一日よ終わってくれるなと願うせつない気持ち。異学年の色々な子どもたちとのカクテルで過ごすことによって化学反応が起こり、変身したくましくなっていく子の姿。自信をつけていく瞳の変容。あちらこちらで起こるドラマ・ドラマ・ドラマ…。

さて先日、時計変わりの朝のテレビで、ある大学教授が、熱中症対策として子どもたちに最も効果的なのは「適度の外遊び」だと言っていて、膝を打ちました。ちまたに溢れる熱中症対策というと、こまめな水分・塩分補給とか、休息とか、どれも間違っていないし善意で提示された基準なのですが、「ん?そうかな」と違和感を感じる自分がいたのです。そして、その先生の一言は、そのモヤモヤを的確に射抜いたのです。

つまり、私がひっかかっていたポイントは「いやいや、子どもの未来を考えると、暑さ程度ではへこたれない強靭な肉体を作ることこそが、大事なのじゃないかな」ということです。テレビでもまさに、日々適度な外遊びで鍛えていると、暑さに負けない体質を作れるのだと、その理由を言っていました。

ちょうど、若者と教育の古典を読みなおす勉強会を始めたところですが、ルソーはまさに田舎・自然の中で育てるのが一番と言っていますし、「ほんとうの教育は、教訓を与えることではなく、訓練することだ」と書いています。私たちは、子どもを「鍛える」ということを、もう一度 見つめ直すべきなのではないでしょうか。

さあ、夏。たった数年間の少年少女時代の、その年齢では一度きりの夏。大汗かいて、笑顔輝く、経験に満ちた夏となりますように。