高濱コラム 『感謝』

『感謝』2012年5月

 花まる学習会は、川口ふたば幼稚園が始まりです。硫黄島の戦いで有名な栗林中将の娘さんである故新藤たか子園長が、お泊り保育の夜の懇親会に参加していた一アルバイトの私の話を聞き、「うちでやりなさい」と言ってくださったのです。色んな人の力を借りて会社を設立。この国の教育を総替えするくらいの夢を持って歩き始めたはいいが、世の中甘くありませんでした。次の幼稚園が見つからなかったのです。

 いわゆる「営業」の電話を片っ端からかけるのですが、園長に取り次いでくれればましな方で、たいていすぐ切られる。簡単にあきらめる性分ではありませんから、少しは脈があるかもと突撃営業をかけたら、パンフレットを目の前でゴミ箱に捨てられたこともありました。33歳の私はあせっていました。そこで新藤先生に相談すると、川口南幼稚園を紹介してくださったのです。

 3ヶ月後の4月には授業を開始したい。なんとかこのチャンスをつかまなければ。寒空を歩いて園に向かいました。暖房の利いた部屋で新井衣乃園長と向かい合って、私は「メシを食えない大人」を量産しているこの国の現状と、それを突破するための「思考力の育成」「野外体験の必要」をガチガチになって力説しました。そのためにここで、卒園生のための勉強会を開催させていただけないでしょうか。黙って聞いていた先生は、一言こうおっしゃいました。「いいでしょう。がんばってください」

 もし駄目だったら、会社そのものをいったんたたんで出直すことも選択肢にあったくらいですから、その一言は本当に嬉しいものでした。重くて動かなかった扉が開き、世界からようやく「いいよ、君も仲間だよ」と受け入れてもらえたような感じでした。どこの馬の骨とも分からぬ、当時何の実績も無かった一青年の言葉を聞いて、開催を即決してくださった恩は、感謝してもしきれることのない大きなものです。

 その新井衣乃先生が、亡くなりました。気づけば自分も53歳。時は流れ、恩人の何人もが鬼籍に入り、また一人大切な人を失いました。ぽっかりと穴が空いた気持ちです。それにしてもあらためて思うのは、何人ものこのような「引き立ててくださる方々」との出会いの集積で、今があるなということです。心に浮かぶのは、ただ感謝の一言です。

 人生一度きり。今の年齢の私の役割は、新井先生がそうしてくださったように、未来ある若者を感じ、道筋をつけ、世の中の役に立つように育てることでしょう。おかげさまで花まるは勢いがあり、多芸多才な面白い若人が集結してきています。お近くに見どころのある若者が職を探していたらぜひ紹介していただきたいですが、私は、彼らを一人前の社会人、魅力ある人として育て、そのことを通じて、子どもたちがたくましい人間に育ってくれることに邁進したいと思います。

 これを書いている時点で、葬儀はまだですが、新井先生にはこうお別れを言うつもりです。「先生、ゼロからの経営で、ピンチは何度もありましたが、不思議とずっと自信がありました。それは『いいでしょう。がんばってください』という先生の一言が、そのときの感激が、宝石のように胸の奥に光っていたからです。大丈夫、自分には味方がいる。いつもそう思えました。本当に、ありがとうございました。これからもずっと見守っていてください。」