高濱コラム 『思い出のアルバム』

『思い出のアルバム』2014年3月

 学年が上がる春。卒業の季節。進学塾部門スクールFCでは、一足早く新学年がスタートしています。新6年生のスーパー算数で、こんなことがありました。専門の人間でもない限り大人でも全く解けないような難問を、サクサクと解き切る最高度の能力を磨くクラス。いつもオリンピックに似ているなと思います。6年生の2月1日に向けて、脳の力を鍛え集中力とバランス感覚を身に着けていく。俯瞰する鳥の目と、一点凝視する目とを自由自在に切り替え、最適アイデアを発想し猛スピードで解答するスキルを確かなものにしていく。あと数か月というあたりから芸術のように磨き上げていきますが、試験当日から一か月もすると、たちまち力は落ちてしまう。真剣勝負の厳しい世界です。

 その第一回目の授業では、私は一年後の壁をありのままに体感させます。某中学の名問題を入試と同じ時間で解いてもらい、言わば「全く力が足りないこと」を実感してもらうのです。そして、どんな力が足りず、どう埋めていけばよいかを指導します。解答も終わったあと、一人の少年が茫然に近い形でポソリと「間に合うかな…」と弱音を吐きました。100点満点の一桁の点しかとれなかったからです。そんなの毎年そうだよとか、筑駒や開成や桜蔭や灘に合格した人でも最初は同じだよと言っても、言葉が伝わっていない感じだったので、彼が得意のサッカーにたとえてこう言いました。

 「考えても見ろよ、10か月必死でやり続けて、リフティングの回数が落ちるってやついるか?必ず伸びるだろう?」すると、本当に一瞬で顔が晴れ晴れとして、「そうですね!」と答えました。得意技、自信のある何かを一つ持っていると、いかに役に立つかという典型の瞬間でもありました。知識ではなく経験として成長したり成功したことを体が知っているから、別分野に対してもイマジネーションを持てるのです。きっとサッカーで培った総合力が、彼の一年後をたくましいものにするでしょう。

 さて現6年生向けの恒例の卒業記念講演会。今年は評判も定着したのか、こんなにいたっけ?というくらい大勢集まってくれました。一年の中でも最も輝く瞳が見つめる講演会。今年もそうでした。親より先に死んではいけない、異性を学べ、合わないと言わない、見つけた人が拾う・・・。真実ではなく、私の信念を一人の大人としてぶつけました。思春期にはそれこそが最も大切だと信じるからです。もちろん、定期テストは人生の分岐点とか、分からないままにしないといった学習面のアドバイスも含めて。

 終了後、全員とグループに分かれて記念写真をとったのですが、そのときに恥ずかしそうに多くの子が声をかけてくれました。「こんなに大人の人の言葉に感動したの初めてです」とか「もういじめが来てもこなしていけそうです」と。中でもほっそりした気迫あふれる表情をした女の子が「私、『13歳のキミへ』が、どんな本よりも好きです!」と言ってくれたときには、クラッとくるくらい感激しました。たった1時間半でしたが、一人ひとりと強い絆で結ばれたと感じました。中学や高校でも何等かのつながり(FCやサマースクール)があるといいなと思いましたし、大学生になったら、講師として戻ってきてほしいです。

 一人の6年生の女の子Rさんのお母さんが、アルバムを持ってきてくれました。それは、6年間のサマースクールの思い出がぎっしり詰まったアルバムでした。1年生の出発の写真では、親友のHさんともども小さくて、バスの窓から顔が上半分しか見えていません。表情もとても不安そうです。それが5・6年ともなると、顔はもちろん全部見えるし、手足もスラリと伸び、どの写真も自信に満ち溢れています。楽しみきっているのが伝わります。

 そのアルバムの凄いところは、ただ写真だけではなく、何と掲示板(保護者に様子を伝えるために写真とミニコメントを逐次掲載したもの)に書き込んだ、我々のコメントも全て素敵なレイアウトで載っているのです。表彰状や名札も。正直現場の私たちは時間に追われる中で、さらさらと書き込んだ言葉でも、お母さんって、こんなに思いを込めて見ていてくださったのだなあと、胸が熱くなるのでした。「大丈夫かなあ」「ああ良かった、楽しそう」そのときどきのお母様の言葉が、聞こえてきそうでした。

 ここまで濃密なアルバムを見せていただくと、リスクを背負いながらも長年野外体験をやってきて、本当に良かったなあと、しみじみ感じました。これ以上はない勲章ないし通知表をいただいた気持ちです。体験部長の箕浦も手にとって、「わあ…」と言ったきり絶句しました。子どもたち、お母さん、社員、現場の宿の方々など、同じ時代に生きて、みんなで力を合わせて、6年間でこんなに素晴らしい思い出を作れたんだ。そう思うと、涙があふれてくるのでした。

花まる学習会代表 高濱正伸