高濱コラム 『まるひとつ』

『まるひとつ』2014年4月

 中学3年生男子というとどういう印象でしょうか。あの可愛かった時代も今いずこ、もう親には「ウン」とか「フツー」とかしか発話しない、少々むさ苦しいイメージではないでしょうか。K君という中3がいました。小1の4月に花まるに入会してから、スクールFCを卒業するまで、フルに9年間かかわった子です。以前、情熱大陸という番組で、電柱の高さを何の計測器も使わず測ろうという、直角二等辺三角形をテーマにした、小5対象の青空授業が放映されましたが、その中で走っていた一人です。

 小さい頃は若干線の細い秀才という感じでしたが、高校受験しか考えていないのに、小6の一年間、中学受験組に交じってスーパー算数をやりきったあたりから、骨太感を示し始め、中3では全県で2番という成績を出すまでに成長し、悠々と浦和高校に合格しました。一番の特長は、指導されたことで大切だなと思えば、嫌いとか面倒とかの気持ちを全く起こさず、すっと受け入れる素直さと、あきらめない粘り強さがあったことです。これは、長年多くの子どもを見てきて、後伸びする子の特長だと言えます。中1中2はスクールFCの中ですれ違うくらいだったのですが、中3になり久々に授業をしたときのことです。

 その日私は思うところあって「教えない授業」をしてみようと決めていました。授業論を色々語る人がいるが、一番大事なのは生徒本人の頭がクルクル回転していることであって、そこさえアンテナを張って(疲れて頭が止まっていたり、やったふりだけしていたりということがないように)見つめていれば、究極全く教えないという方法でも効果はあるということを、確認したかったのです。何題も難問が並んでいる。一問ずつ解いてできたと思ったら私を呼ぶ。私は「よし」と言うだけです。最上位ともなると「自分の頭で考えるからこそ面白い」ということがしみ込んでいますし、変にヒントや答えを言われたらむしろつまらないと分かっていますから、十分成立する方法なのです。

 さて、みな必死で考え抜いて鉛筆をコリコリ動かしていますが、なかなか突破できません。そんな難しい問題を解けた子には、ただ「よし」と言うだけではなく、遊び心で小学生のように問題番号に花まるをつけていました。K君が3問めを解いたときです。他の子にも同時に呼ばれたので、K君の肩をたたきながら「よくできたな」と誉めたあと、別の子のところへ行きました。K君はすぐに次の問題に向かい黙々と解きはじめました。沈黙の中鉛筆の音だけが響きしばらくしたときです。彼が「先生」と呼ぶので、行ってみました。すると彼は「ここ」と言いながら、さっき私に正解だと認められた問題に花まるをほしいと要求したのです。

 これはちょっと新鮮でした。極めて優秀で大人の感性をもったムサい中3男子でも、やっぱり花まるがほしいのです。クルクルと赤ペンが動いた軌跡に過ぎないのに、やはり嬉しいのです。そう言えば、お年寄りや社会人相手になぞぺーを解説することもありますが、問題を解ききった方に、半分先生と生徒ごっこのようなニュアンスで、「よくできました!」とまるをつけると、破顔一笑、晴れ晴れとした表情になられることも、何度か経験しました。つい先日も、社会で活躍される社長さんたち向けに算数脳の講演をし、問題を出したら、一緒にいた大学2年生の娘さんが「解けました」と、用紙を持ってきたので、「よく解けましたね!」と言いながら花まるをつけてあげたら、そこまで喜んでもらえるのかというくらい、キラキラと顔が輝きました。

 人は、メシが食えれば、次に求めるのは承認です。愛されたり、感謝されたり、必要とされたり、褒められたりと、人との関係の中で認められることを、何よりも欲します。「好きだよ」と言われたり「すげえ!」と言われたりすることは、お金に変えられないくらいの重要な経験です。賞状もトロフィーもメダルも、それ自体は材料費に毛の生えたような価値しかないかもしれませんが、周りの人との関係の中でそれを手に入れることは、人として最高の歓喜があるのです。

 低学年は特にそうですが、花まるでは宿題について、保護者に丸をつけていただきます。溢れる家事の段取りに追われる中での、泥臭い作業。大変でしょう。しかし、一つのまるが子どもの心に与えるインパクトを想像し、心を込めてつけてあげてほしいと思います。信頼し愛する人からのものであれば、まる一つが、宝石よりも価値を帯びるのです。

花まる学習会代表 高濱正伸