高濱コラム 『おにいちゃんの育児日記』

『おにいちゃんの育児日記』2014年12月

 2014年も暮れようとしています。冬至・年末の私の恒例は、澄み切った夜空に光るオリオン座を眺め、「ああ、今年も無事、一周(太陽の周りを)できたな」と感じることです。どんな不測の事態も起こるのが人生。そんな中、大病もせず、社会に居場所を持ち、周りのみんなと笑顔でいられたなあ、感謝しなければ…、と。「あと何周できるかな」と考えてしまうのも、この数年ずっと同じです。

 今年は、武雄市との官民一体のニュースが大きかったですね。まだまだ準備段階にも関わらず、行く先々で「武雄はどうですか」と聞かれました。おかしかったのは、6月頃でしたか、授業後に遊ぶことを楽しみにしている2年生の男の子K君が、楽しい時間を共有できた親しみのこもった目で「来週も遊ぼうね!」と言ったときのこと。出張をしなければならいことが分かっていて、瞬間、私は申し訳ない表情をしたのだと思います。すると彼は「キューシュー?」と聞いてきます。私が「うん」と言うと、彼は「ああー、ああー」とうなずきながら、両手のひらをこちらに向けて、いいよいいよという仕草をしました。それは仕方ないよねという顔つきで。きっと親御さんが、お話ししてくださっていたのでしょう。思いやりが嬉しかったです。

 さて、この一年で一番面白かった本は、断然「自分の壁(養老孟司著)」でした。ユーモアあふれる中に全ページ赤線をひいてしまうような、鋭い視点と見識が記されています。70歳をすぎて、この影響力って、本当に凄いなと思いますし、主張の背景にある「日本の感性」の素晴らしさを感じ、こういう本が出版されベストセラーになるうちは、まだまだこの国は捨てたものじゃないと感じました。

 内容は、一言で言えば、人間は自分という内側と、世界ないしは他人という外側との間に壁を作ってしまう生き物で、現代人が西洋仕込の自分観でいかに息苦しくなっているか、ということです。古くからの日本の文化は、世間と繋がっている感覚を持っていて、「まあまあ」に代表される、あいまいでも信頼感で繋がった感覚で、安心できていた。それが、できなくなっている。

 本当にそうで、入社早々「この会社は」と上から批評し自分の待遇を主張する若者、ちょっとしたトラブルでも糾弾に近いクレーム(書面で出せというような)を言う人、ネット上で匿名で罵詈雑言を並べ立てる人…。残念な人たちは、すごく半径の小さい「自分の壁」を作ってしまっているのでしょう。自分と世界・世間はつながっている、もともと一つのものだと感じられれば、ずっと楽でハッピーに生きられるのに。

 それでは、世界への信頼感(周りは敵じゃない。みんなつながっていると感じられる力)は、どうすれば育てられるのでしょうか。このことへの答えのような小冊子を、あるお母さんから見せてもらいました。9月末号で紹介した高校生H君と2年生K君のお母さんです。掲載への挨拶をしたとき、「何であのような人間力あふれる子に育ったんでしょうね」と伺ったことへの返信にもあたるものでした。

 その小冊子は、H君が小学校3年生のときに生まれた、弟K君の「育児日記byH君」ともいうべきものです。誕生の日から一年間、写真と300字程度の日記が記されています。一部抜粋します。
2か月:Kちゃんがねているからとお母さんが買い物にちょこっと行くと、いつも起きて泣くので、そのたびぼくはミルクをつくってあげます。ミルクのこなのすりきりも上手になりました。
3か月:いままで泣く時だけ声を出していたけどお話しするような声を出すようになってきた。たとえば「アーアー」や「ウーウー」などしゃべってきた。ぼくはKちゃんが初めてしゃべった時すーっごくうれしかったです。
4か月:いつもみんな家族そろって食べるときはKちゃんもニコニコしながらみんなと食べています。Kちゃんはたくさん食べてくれるのですが、お母さんがこまることがあります。それはKちゃんがいすにすわらないことです。すぐ立ってしまうのでこまってしまうことです。
7か月:ねがえりをしてうつぶせになったじょうたいから、手をついておすわりができるようになりました。前はねがえりしかできなかったけど、いっぱい練習をしてきたので、かんたんにできるようになりました。おすわりができたら、ぼくのほうを見てニコッと笑ってくれました。
8か月:お母さんがちょっとちがう場所に行ったら泣いてしまって泣きながらお母さんをおいかけていました。こうやってKちゃんは人見知りをしていることがわかりました。
9か月:最近歯がじょうぶになったので、人のことをかんだりします。かまれるといたいのによくかみます。それはかんじゃいけないということがまだわからないのと、歯がはえてきてかゆいのではないかと思います。だからたんすもつくえもリスみたいにカジカジします。
11か月:11か月の中旬ころから何かにつかまってたち、歩こうとしているすがたをよく見ます。いつもがんばって一歩一歩歩こうとしています。ある日のことです。Kちゃんが立っているところで「Kちゃんおいでー。歩いてみな」というと、初めて歩きだした。一歩二歩三歩まで歩いた。そしてぼくはKちゃんのあたまをなでてやりました。

 こんな感じです。家族でいられる幸せ。家宝とはこのことでしょう。弟君が思いやりがあるのも、H君が人の気持ちを大切にし「目の前の人が幸せなら自分も幸せ」という魅力的な青年に育ったのも、原点はここにあると確信できます。

 すべての家族が幸せでありますように。よいお年を。

花まる学習会代表 高濱正伸