高濱コラム 『若き世代』

『若き世代』2016年5月

 新しい学期の始まりです。今年度も、どうぞよろしくお願いいたします。
 さて、今年の年度変わりは、花まるにとっては、ちょっとした緊張の時間でした。雪国スクールの雪が無かったのです。親子・年長さんまでは乗り切りました。小学生も前半組は本当にギリギリで間に合いました。しかし後半組は、とうとう近隣も含め越後湯沢で花まるの規模を受け入れられる全スキー場が閉鎖となってしまいました。私はその後半に参加したのですが、町中の残雪は全く無くなっているし、いつも行く中里スキー場も、白ブチのようにチョビチョビ見えるだけで、すっかり新緑の始まりの様相でした。
 ある種の逆境ですが、ここで若い軍団が力を発揮してくれました。雪像やかまくらを作ったり雪合戦をしたりする「雪遊び」については、山の配置やその年の風の向きなど微妙な綾によって、必ず雪がまとまって残っているところがあるという信念のもと、地元の方の助けもあって、見事に奇跡のように残っている地帯を見つけ出し、たっぷりと遊ぶことができました。スキー場についても、バス移動できる範囲に必ず見つかるという考えで、前もって現地に足を運んで調査し、六日町スキーリゾートという雄大な眺めの素敵なスキー場を探し出しました。
 ピンチには結束力も固まるもので、若い社員たちの動きは溌剌としていて、各宿のリーダーたち20人強が集まる夜のミーティングは、熱気に満ちオーラを放ち、ちょっとした見ものでした。皆すごく感じているし考えているし、目と言葉に力がある。トラブルやミスのあったメンバーには、温もりを手渡すようにみんなが気持ちを寄せてフォローしている。私は、すっかり自分がいなくても完全に回っているその光景を、亡くなった霊が上から見るように、黙って眺めていました。
 そして、それらを統率しきったのは、野外体験部部長の箕浦健治でした。彼との関係は古く、もう30年近く前に、二人のお姉さんたちと、キンダーという幼稚園のお泊り保育専門の会社のアルバイトで出会ったことが始まりです。二人とも気迫に満ちて仕事がすごくできるのが特徴で、グダグダ愚痴を言うような若者には、猛烈に厳しかったことを覚えています。数年して、その猛女二人の一番下の弟として18歳で登場したのが彼でした。私は講演会などで、「兄弟関係で心配なパターンがあって、典型的なのは、強い母、強い姉で、ちょっと年が離れて一番下がやさしい男の子」と言うことがあるのですが、彼の場合、さらにもう一人強い姉もいたからでしょうか、はっきり言って「気立てはいいけれど使えない青年」でした。
 その会社は、今風に言えばブラックもブラックの理不尽体育会系だったのですが、彼が偉かったのは、その中のワルとも言える先輩たちに、どんなにしごかれても音を上げないことでした。私は、最初の年に見て、姉と比べてなんたる頼りなさと思ったのですが、数年後に出会った彼は、踏まれて強くなり、その会社の中心にまでなっていたのでした。
 その後縁あって花まるに来たときには、今度は学習塾という新天地の壁があったのでしょう、悩みを先輩に聞いてもらう日々でした。しかし、そこでも生徒・保護者に愛される中で、徐々に自信をつけ成長しました。そして、ある時「私は野外体験にすべてを捧げたいんです」と告げてくれました。私も、自分こそが一番やりたくて始めたサマースクールや雪国スクールですが、いずれ後継者は必要と考えていましたし、まだ自分が元気なうちにトップ育成をすべきだと考えました。10年前のことです。
 まだ未熟。しかし、プレーヤーとして打席に立たせないと、本物として育たない。中途半端でなく、全部を任せてみることにしました。本当に危ないと思ったときだけ口を出そう、責任は私が取ろうとは思っていましたが、迷いはありませんでした。なぜなら、人生を野外体験に賭けたいという「覚悟」が抜きんでていたからです。それからのエピソードは、書籍何冊分になるでしょうか、本当に色んなことが起こりました。大変な局面も何度もありました。しかし、その都度、箕浦が強くなっていくことも感じていました。そして今年、天候相手の難しい判断も的確に下し、現場で数百人いる子どもたちを一言で惹きつけ、笑わせ、安全上の指示を浸透させている姿、スタッフから信頼され率いている姿を見て、「あ、もうバトンは渡ったな」と感じました。

 さて、そんないきさつの一端をフェイスブックに載せたら、島根に嫁いだ二番目のお姉さん(花まるの草創期を支えてくれた恩人でもあります)から、コメントが来ていました。ちょうど里帰りで会ったそうです。「健治が『雪がない~。でも探してやる!』と新潟に戻っていった姿を見ました。頑張っているなぁと。ここまで育てていただいてありがとうございます。もう泣き虫健ちゃんではなく、しっかりしたおっさんに成長していました!」と。
 ああ、愛されてきたんだなと思いました。結局、彼が若い時代の理不尽の壁を乗り越え成長できたのも、ひたすらに一つことに賭けて頑張り通せたのも、実のお母様はもちろん、根っこに、「第二の母」というべきお姉さんたちの深い愛情があったからでしょう。きっと男たちが成功するしないは、何人の「母」たちに愛してもらえるか、応援してもらえるかにかかっているのでしょう。

 禅譲。今、こうやって書きながら、一抹の寂しさは禁じえませんが、プロスポーツ選手がいつまでも現役でいられないのと同じで、これは世の掟です。後継者無く尻すぼみになることを想像すれば、彼と出会えて本当に良かったです。これから、野外体験は名実ともにファイヤーこと箕浦健治が大黒柱です。ご期待ください。
 私は、自分がやってきた他の様々な分野でも、覚悟を持った若者を探し出し、「よし」と思えるまでに育てることが己の仕事と信じて、新しい日々を歩んでいきたいと思います。

花まる学習会代表 高濱正伸