花まる教室長コラム 『自分よりも喜んでくれる人』

『自分よりも喜んでくれる人』2016年8・9月

秋の木漏れ日が降り注ぐ公園で、自転車に乗る練習をしている女の子と出会いました。そのそばには、額に汗を光らせながら、練習に付き添う父の姿。なかなか上手く乗れない娘に対し、「できるよ!パパがいるから大丈夫。」と励まします。何度も転び、悔しくて、唇を噛みしめる。両手両ひざは、泥だらけ。それでも女の子が諦めなかったのは、自分を信じて、そばにいてくれる父がいたからでしょう。
 女の子は、思いきってペダルを漕ぎます。勢いよく漕いだペダルに迷いはなく、真っ直ぐ前に進んでいきます。たった数メートルだけれども、自転車に乗ることができた女の子は、目をまんまるに見開いて父の方を見ます。二人は見つめ合い、静かな時が流れていきます。父は娘のところに駆け寄り、ぎゅっと抱きしめました。
「お父さん、ちゃんと見ていたよ。がんばったね。」
父と娘、互いに顔を見合わせ、くしゃっと笑い合います。
「お母さんにも見せたいなぁ。」
「うん。お母さん、喜ぶね。」
周りには、黄金色に輝くイチョウ並木。その木漏れ日が、二人の親子の愛を優しく包み込んでいました。

この親子のやりとりを見て、初めて逆上がりができるようになった時のことを思い出しました。寒空の下、氷のように冷たい鉄棒を握りしめ、何度も逆上がりの練習をしました。「絶対にできるようになりたい」という私の負けん気に付き合ってくれたのは母です。逆上がりの練習は長期戦でした。あと一歩のところで無情にも鉄棒から離れていってしまう私の身体。悔しくて、悔しくて、そばで待っていてくれる母なんてそっちのけでひたすら練習をしました。どれくらいの時間が経ったのでしょうか…やっとできた逆上がり。地球がぐるりと一転したかのような初めての感覚、練習してできた手のマメ、寒くてかじかんだ手、全ての痛みが吹き飛んでしまうほど、嬉しかったことを今でも覚えています。この時、そばにいた母は、私の手を両手で包んでこう言いました。
「お母さん、ずっとちまのこと見ていたよ。おめでとう。」
 私よりも、ずっと寒かったはずの母の手はなんだかあたたかく、喜びでいっぱいなはずの母の目には涙がたまっていました。「お母さんも嬉しいよ」その言葉と共に、涙が頬を伝っていきました。

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  嬉しいことがあった時に
  誰かに言いたくなるのは
  自分よりも喜んでくれる人に
  育ててもらったからなんだろうな
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私の好きな曲にこんな歌詞があります。
 嬉しいことがあった時に一番に言いたくなるのは母です。何時間も私の逆上がりの練習に付き合ってくれた母は、なぜか楽しそうにしていました。思えば私が、できなくて、悔しくて、泣き喚いたときでも、母はいつでも変わらない笑顔でした。そして、涙を流しながら私を抱きしめた時も、そこにはいつも母の笑顔がありました。嬉しい時に流す涙があることを教えてくれたのは母です。大好きな母の笑顔と共に流れる涙、それはそれは幸せな涙でした。

お母さん。
夕暮れのイチョウ並木に映し出された二人の親子の影を見ながら、あなたのことを想いました。嬉しい時に、一緒に喜んでくれるから「また頑張ろう」と思えます。でも、辛い時に私よりも苦しい表情をしているあなたを見ると心が締め付けられます。やっぱり、見つめる先にはあなたの笑顔があってほしいのです。単純かもしれないけれど、あなたのことを想い、あなたの笑顔が見たくて、私は懸命に生きています。
 あなたの見つめる先にも、私の笑顔があるように、一日一日を踏みしめながら歩んでいきます。それが娘としてできる最大の恩返しです。

生井 ちま