高濱コラム 『もう一つの常識』

『もう一つの常識』2016年12月

 「ザ・コーヴ」という映画を覚えていらっしゃるでしょうか。和歌山県太地町の漁師たちによるイルカ追い込み漁を、日本人による残虐な行為と告発する形で描き、2010年アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞まで取ってしまった作品です。受賞によって正当化されたために、クジラ漁を含めて、国際的には、日本は旗色が悪くなってしまいました。
 そのことに立ち上がった女性がいます。ニューヨーク在住の佐々木芽生(めぐみ)監督です。彼女は、今年一本の映画「ふたつのクジラの物語」を作り上げました。さっそく権威ある釜山国際映画祭に招待されるなど、注目もされ始めているのですが、花まる学習会としても応援することにしました。理由は、この作品が非常に重要なテーマを扱っているからです。
 作品は、シーシェパードって何て愚かな団体でしょうというような「相手の対立姿勢に対立姿勢を示す」のではなく、両論併記に徹しています。ある集まりで、彼女は質問を投げかけました。「正義の反対は何だと思いますか」と。「悪徳?不義?罪悪?」と聞く私たちに「いえ、正義の反対は、『もう一つの正義』です」と答えました。作品中、欧米の自然保護の団体は、相変わらず漁の様子を監視カメラで撮影したり声高に罵ったりします。一方漁師たちは、戦うのではなく、たんたんと地元で長く続いた伝統であることをカメラに語ります。
 相手のブチ切れた姿勢や罵倒に、「なにを!」と買い言葉で戦闘を挑むのではなく、静かな目でただ「お互いに、お互いの正義や常識があるのだ」と語っているのです。これは、私たちの世界で、いつまでたってもなくならない争い事を見つめ、平和を希求するとき、ほぼ唯一の道を照らし示していると思います。
 またもう一つ、他の様々な外交上のトラブルや言いがかり同然の問題についても、敗戦以降の日本は、「仕方ないよ」とばかりに、むしろダンマリを決め込み、激しい主張をしないことが伝統のようになっていました。それは空気で伝えあい、事を荒立てない日本人なりの美徳でもあるのですが、世界標準では通じません。言うべきことは言っていかないとどんどん浸食され相手の良いようにされていく。その弱点にも、この一作が一つ道を示したと感じたのです。日本なりの感性を大切にしたまま、品格高く示すべきを示す、ということです。
 「異なる価値の共存に生きよう」と意思することは、個人戦の思想にどっぷり染まった現代の硬直から解放されるために、夫婦から家族、友人、会社、国家に至るまで、柱の一つにもなる考えでしょう。折も折、ダイバーシティ(多様性)なる外来語が、よく話題になっていますが、まさにそのことを言い換える言葉でもあります。そして、われわれ俗人には、実はかなりの難題です。

 D・カーネギーの『人を動かす』の中に、面白いエピソードが出てきます。それは、刑務所には色々な人間が入っているが、相当な極悪人でも大半は「自分は、本当は悪くない」と思っているというのです。これはつまり、人間はどこまでも自分を正当化できてしまうということです。
 そのように目を疑うような正当化と同時に何者かをけなしているような人たちは、あるものを心の頼りにしています。「常識」です。そんなこと常識でしょうが、と。あるいは、「文化」や「伝統」「家の方針」「教義」であったりもします。いずれにしろ、「科学的真実」ではなく、「常識」に代表される、「強い思い込み」を盾にして攻撃をしかける。双方がそれだと、戦争しか道がなくなります。
 以前書いたこともありますが、離婚を研究した心理の専門家によると、最も多い理由は、「常識のぶつかり合い」だそうです。相手の変わった趣味のようなものでは別れたくなりはしない、お箸の持ち方や噛み方などの作法や親戚関係での因習や家族同士での付き合いの程度などなど、他愛もない理由に見えて、お互いが「こんなこと、当たり前だろう」と思っていることでぶつかると、取り返しのつかなくなるきっかけになるのだそうです。それは、男の常識vs女の常識かもしれないし、A家の常識vsB家の常識かもしれない。
 いずれにしろ、そこで大切なのは、「この人はこんなことを『当たり前』と思っているんだな」と歩み寄っていく気持ちと、相手の心のありようを想像する姿勢でしょう。コンピュータやロボットが劇的に進化し、「人間力の勝負」になると言われる新しい時代に生き残り成功する人たちは、きっと「こんなの常識だろう、と信じている自分」を客観的に俯瞰し、佐々木監督の映画のように、「相手にも相手の常識があるんだな」と、柔軟に気持ちをコントロールできる人たちでしょう。
 自らと敵の間に棒で線(自分の壁)を引いて、「なんてひどい奴らだ」と言い捨てるとき、人はスッキリするものです。しかし、文化や常識や因習を盾に、相手を斬って捨てて胸のすく思いを感じることには、懐疑的でありたいと思っています。斬り捨てる行為にあるのは、真実ではなく、「自らを正当化したい」という前述の囚人なみの心の弱さなのでしょう。
 世界のどこに行っても友逹を作れるし、どんな会社・どんなチームに入っても、みんなと仲間になれるし活躍できる、心の強い人に育てたいですね。   

花まる学習会代表 高濱正伸