高濱コラム 『一人ひとりを大切に』

『一人ひとりを大切に』2017年2月

 花まるを始めて24年。少なくとも自分の教室では、どんな子が来ても絶対に受け入れようと決めて、それを守り通してきたのですが、昨年は初めて少しだけグラつきました。4月に入会した1年生R君が、多動やADHDと言われている子たちの中でも、見たことのない激しさの子だったからです。ちょっと席にいればいい方で、たいていあちこちグルグル歩きまわり、教室を飛び出して消えてしまう。「あれ?あの遊具に今日は乗っていないぞ。先週の注意が効いているな」と期待を抱く。ところがその期待は、翌週には裏切られる。「あれ?人の靴を隠してはいけないと指導したことを、もうやらなくなったぞ」と今度こそ期待する。そして翌週裏切られる、というような一進一退はありつつ、結局ほぼお手上げのまま一学期が過ぎました。
 こういう場合、私たちがどのような心構えでいるかというと、一つは、「いじめられて自信を失う」という二次被害だけは避けることです。この点は、幼稚園教室のいいところで、小さい頃からみんな一緒なので、彼の落ち着きのなさや、ときどきヒーローになりきって人をたたいたり蹴ったりしてしまう問題点についても、みんな大らかに見守っていて、それぞれ自分の勉強に集中していました。
 二つ目は、長ーい目で見るということです。怒鳴ったりして急な変化を求めても無理なことが多く、5・6年生くらい、最悪でも中学生まで待てば、たいてい落ち着いてくるし、座っていられるようになります。過去にも困らせられた子は数多くいました。すぐに思い出すのは、軽くはない自閉症で、サマースクールのサービスエリアで行方不明になってしまった子(結局バスの最後部座席の陰に隠れていました)。彼は、詩と絵という得意分野を見つけるとどんどん伸びて、今では社会に出てしっかり働いています。落ち着きのない子など、それはそれは綺羅星のごとく大物揃いでした。しかし、結局は長い目で見ることとお母さんの不安を受け止め続けることで、何とかはなってきたのです。そんな経験量もあり、基本「解けそうもない問題」にぶつかっていくのが好きな私ですが、今回だけはお断りするしかないかもしれないと、少しだけ弱気が心をかすめていたのでした。
 ところが二学期になって、思わぬ展開が待っていました。一つは、R君に親友ができたことです。2年生のM君。彼は彼で、極めてチャーミングな子なのですが、学習のことでお母さんを悩ませてきました。ただ、どういうわけかR君との相性がすこぶるよかったようで、授業終了後にはべったりとくっついて一緒に遊ぶようになったのです。
 ある日、事情があってM君はお休みという日がありました。R君は彼を探し回り、いないことを知ると、がっくりと肩を落としていました。ところがM君のお母さんが手紙を届けてくれたのです。そこには、鉛筆書き、筆圧の強い字で、こう書いてありました。
「R、やすんですまねえな。まえみたいに、ほかほかのにくまん、いっしょにつぎのひもくえるといいな。Mより」
 なんという心のこもった手紙でしょうか。おまけに、多分M君としては最高のもてなしの象徴でしょう、犬だか熊だかに折った折り紙も同封されていました。R君がどんなに嬉しかったかは、想像に難くありません。
 そして、そういう親御さん以外の、外での心の支えを、確かなものとしてR君が感じられるようになった11月に、さらなる転機が訪れました。いつものように教室を飛び出ていった彼を追いかけ、両肩をつかんで私はこう言いました。「R、今日はまじめな話をしよう。あのね、このままだとRは、花まるにいられなくなるかもしれないぞ」すると、彼は、「なんで?」と聞いてきました。私は「あのね。学校とか花まるでは、みんなが座ってお勉強をしているときに、一人だけ席を立って歩いたり走りまわったりしちゃいけないんだよ」と言いました。まあ、当たり前のお説教の始まりみたいなものです。ところがR君は「えええ!?」と、目をむいたのでした。
 そして驚くべきことに、その後、年末までの4回の授業では、劇的に座っていられるようになったのです。メタモルフォーゼ。もちろん内なるムズムズは存在しているようで、一瞬席を立とうとするのですが、思い直して座る。そういう行動に変わりました。
 つまり彼は、「授業中は席を立ってはいけない」という原則を、わかっていなかったのです。もちろん幼稚園時代にも小学校でも、先生は指導してくださっていたはずです。しかし、集団指導の中での声掛けは、聞いちゃいなかったということでしょう。また、ある地点からは「この子に言っても仕方ない」という見られ方の中で生きてきたのかもしれません。
 保護者からのFAQ(しばしば聞かれる質問)の典型で、「うちの子は、言っても聞いていないんです。どうすればいいでしょうか」というのがあるのですが、答えは簡単です。「体に触りながら語りかけてください」というものです。「肩をトントンしてから話したら、確かにだいぶ聞くようになりました」と言ってもらえたことも数知れません。そういう基本を、自らの経験として、もう一度再確認できた年末でした。こんな解決の仕方もあるのだなという驚きとともに、また一つ子ども全員に共通する「唯一解」はないということ、だから決して先入観を持たず、子どもたちを感じながら、柔軟にあきらめずに向き合い続けることが大事なのだという教育方針を、かみしめました。

 さてさて、先日あるデパートで仕事があった帰り、ちょっと小腹がすいたので地下一階に行って何品かを買いました。レジに並んでいたら少し離れたところにあんみつが見えました。ああ妻が大好きだったなと思い出し、いったん列を離れて買いました。夜中に帰宅して、「ちょうどデパートで見つけたから」と差し出すと、とても嬉しそうでした。そして、風呂から上がると、食卓に鯛焼きが置いてあります。「ちょうど、好きだって言っていた鯛焼き屋さんの前を通ったから、買っておいた」のだそうです。あんこの愛にあんこ返し。平凡だけれど、こういう幸福を糧にしながら、授業や野外の現場で、今年も一年頑張って行きたいと思います。よろしくお願いいたします。    

花まる学習会代表 高濱正伸