Rinコラム 『終わり方を大切に』

『終わり方を大切に』2018年1月

 幼児期の子どもたちにとって、ものごとの終わり方はとても大事です。
 今を生きている彼らにとって、直前の出来事の印象が、その出来事全体を決めるしめくくりとなるのです。
 どんなに失敗しちゃったな、という出来事の後にも「よかったね」で終わらせることの大切さについては、以前お話しましたが、このことをもう少し深めて考えてみましょう。

 例えば靴紐のちょうちょ結び。「最初は一緒にやろう、ほら、後はひっぱるだけ、自分でやる?」と、最後の仕上げを子ども自身の手で終わらせるのと、最初の部分だけ自分でやって、難所を誰かオトナにやって完成してもらうのと、どういう違いが生じるでしょう。大人から見たらほんのわずかな差ですが、まったく違う印象を子どもの心に残します。
 世界は用意されているのではなく、誰かに完成してもらうのでもなく、自分の手で創っていく、という原体験。自分の内から湧いてくるものにより敏感になって、その力を発揮したいと思う力は、世界と積極的にかかわる姿勢そのものです。

 「じゃあやって」とすぐに手を放し遠くを見つめ、「いつも勝手に完成させられるはずのもの」をただ待とうとする子、無言でかたくなに体をこわばらせ関わりを断固拒否する子、(聞いてみよう。でも本当は自分でやりたいんだ)という目で見上げる子。 
 「一緒に考えようか」と声をかけたときに、私はその子の反応を全身で感じます。そして、どの子も最後は自分の手でやったと思えるかどうかを大切に、ことばをかけるのです。

 「ぼくじゃない。全部お母さんがやったんだ」
 進学校に通っていた彼のその言葉が、今も忘れられません。15年以上も前、児童精神科医とともに不登校の子どもたちとその家族に向き合っていたころのことです。たとえ表彰されるような出来事でも、彼の自信にはなっていなかった。自分の手でやりきったという体験を奪われていたのです。そのことへの長年の憤りは、思春期にとうとう爆発した。
 それは彼の、自分の人生を生きたいという強い願いでもあったのでしょう。
 

 2017年もコラムにお付き合いいただきありがとうございました。引き続き来年も幼児教育×ARTの交わるところを皆様に発信していきます。楽しい年末年始をお迎えくださいね。

井岡 由実(Rin)