『あの夏の、あの一言が』2025年6月
「先生はどんなお子さんだったんですか?」面談をしていたときにいただいた質問です。
小学生の頃の記憶をたどると、よみがえってくるのは決まって夏の思い出ばかり。外でめいっぱい遊び尽くすことが好きだった私にとって、18時を過ぎても日が落ちず、遅い時間まで遊べたことも理由の一つかもしれません。
「学校に行きたくない――」
学校が大好きだった私ですが、小学校生活のなかで、2回ほどそう思った時期がありました。五~六年生の夏です。理由は一つ、「水泳発表会」の存在です。私は水泳が大の苦手だったのです。ひょろひょろした体を誰かに見せることにも抵抗がありましたし、何を隠そう生粋のかなづちだったのです。3メートルも泳げば息が上がり、苦しくなってバタバタし、我慢できずに立ってしまいます。水のなかに入ると焦ってしまい、無駄な動きをして、どんどん体が沈んでいきます。「クロールのタイムを更新した!」「潜水で10メートルも泳げた!」と充実感をにじませる友達とは対照的に、「早く上がりたい……」「寒い……」そんな思いが頭をめぐっていました。
そんな私にさらに追い打ちをかけたのが「水泳発表会(授業参観)」です。夏休みになると、発表会に向けてラジオ体操のように毎日小学校のプールが開放され、自由に練習に参加できます。私にとっては気が進まない水泳の練習。それでも親切な友達が毎日笑顔で私の家にやってきては「しゅんぺいく~ん! 学校のプールに行こ~!」と誘ってきます。発表会で恥をかきたくないという思いもあり、渋々学校に行っては練習を重ねていました。
小学校生活最後の水泳発表会でのこと。「何としても25メートル泳ぎ切る」という目標を掲げました。そもそも六年生で25メートルを泳げない子はほとんどおらず、みんながタイムや泳ぎのフォームに目標を定めて取り組むなか、半ば開き直って「……ぼくはいいんだ、25メートルを泳ぐんだ」と言い聞かせて、本番に臨みました。
発表会当日。プールサイドには保護者がずらっと並んでいます。そこには母の姿もありました。「なんで来るんだよ……」水泳が苦手なことを絶対に隠し通したいと思っていた私。当日の朝、「今日は1位を狙うよ!」と虚勢を張って家を出たことを覚えています。それに対して母は「うん、うん、楽しみにしているね」と笑顔でうなずいていました。
もう逃げ場はありません。水中に飛び込み、無我夢中で泳ぎはじめました。25メートル先の壁を目指し、体を動かし続けます。集中力が研ぎ澄まされていたのでしょう、プールサイドを埋め尽くす友達や保護者の声は聞こえません。ただただ、水のなかの音だけが聞こえます。
「バン」。手が壁に当たりました。途中で一度も足をつけず、人生で初めて25メートルを泳ぎ切った瞬間でした。顔をあげるとまわりに友達の姿はありません。もしや、1位……? と喜んだのも束の間、すでに全員プールサイドに上がって私一人を応援していました。泳ぎ切った達成感は一瞬にして消え去り、恥ずかしさが押し寄せてきます。みんなから遅れること10秒ほどでしょうか。全員に見守られて泳ぎ切ったことを知りました。小学六年生にとって、最後の一人になることほど恥ずかしいことはありません。
まわりを見ると、プールサイドで拍手をする母の姿が。駆け寄ってきて、母が放った一言は意外なものでした。
「やったね!! ついに最後まで泳ぎ切れたね。感動しちゃったよ……。かっこよかったね」
母は私が25メートル泳げないことを知っていたのです。毎日夏休みに友達と学校のプールに行き、こそこそと練習していることもすべてお見通しでした。私にとって、決して誰かと比べず、自分のあり方を認めてくれた母の言葉が心の支えになりました。泳げるようになったという事実をただ言葉にして喜んでくれたことが嬉しかったのでしょう。
夏休みが始まります。普段は見えないわが子の姿が見えるかもしれません。「ほかの誰でもない、ありのままのわが子」を認めて、言葉にしていただきたいなと思っています。
ひと夏の、ひと言が、お子さまの一生の支えになるかもしれません。
花まる学習会 小林駿平