花まる教室長コラム 『優しくて、強い人』北澤優太

『優しくて、強い人』2025年7・8月

 もう7年。毎年、連絡をくれる子がいます。彼の名は、しゅう。高校入学を機に久しぶりに会いに来た彼と、「実はいじめられている」授業後に突然、そう漏らした日の話になりました。

 「最近いじめられている」
「そうか。『やめろ!』って言わないの?」
「まだ言えない。でも、テレビでよくいじめられて自ら命を絶ってしまう人がいるって言うけど、ぼくは絶対にしない。だってこれから先、楽しいことたくさんなのにもったいない! でもぼく多分、優しいけれど弱いんだ。さっきも窓の向こうがゆらゆらした気がしてビビってる。ビビりだから……。優しくて、強い人になりたい」
「大丈夫。逃げずに目を背けずにいる時点で、しゅうは強いよ。それに少しも弱くない人間なんていないから」

 でも、最後に自分を救えるのは自分だけ。だからあなた自身で乗り越えられるように。そう伝えた私からの提案は、二人で「やめろ!」と言う練習をすることでした。教室のドアをあけると、生ぬるい風が顔に当たります。この間まではこの時間でも明るかったのに、外はもう薄暗くなっていました。教室を出た私たちは、建物裏にまわることに。会話もなく、進む先のアスファルトをじっと見つめます。突き当たりまで進むと、目の前は高架橋。藍色の背景を切り裂くように、列車が通過しました。「ここまでくれば大丈夫」私の声が聞こえたのかどうかはわかりませんが、白い光に照らされた彼の顔は、心を決めたように見えました。
 しゅうが叫びます。
「やめろぉ~」
ボソボソと、消え入るような声でした。
「ダメ。全然聞こえないよ」
「やめろ~」
ゴーッ。さっきよりは少し大きな声でしたが、15両の鉄の塊が、残酷な轟音とともに目の前を通り過ぎました。
「もっと足に力を入れて! 電車の音に負けないように声出して!」
彼の額には汗が滲みます。私の声もかすれます。
「やーめろー!」
両足でしっかりと大地を踏みしめた彼の、強い声が響きました。彼自身が、誰よりも驚いている様子でした。
「いままでで一番良かった! 明日、いまのを思い出してやってごらん」
「わかりました! でも先生。やめろは言葉が強いから、やめてください! にしようかな。あとは明日、自分で頑張ってみる。全部自分のことだから。これができたら、きっと強くなれるよね」
肩で息をする彼から出てきた、らしい提案。見送ったあと、彼のお母さんからメールをもらいました。

「先生との秘密、男同士の話」と言っていましたが、車のなかでは「勇気をもらった! ぼくはいま湯気が出ている感じ! 心の強い人間になることがぼくの夢なんだ。やめてほしいときは、足に力を入れて電車に向かってやめてって言うんだ!」と。電車というのが“?”なのですが、前向きになったようです。



 思わず笑ってしまいました。でも電車に向けて叫んだあの画は、きっとこの先何年も、色褪せず鮮明に、私たちのなかで残り続けてゆくのでしょう。

 さて、ここからはいまのしゅうに聞いた話。彼の夢は音楽の先生。「なぜ先生?」と聞くと、「ジャズを知って、表現することの楽しさを知った。どんな音を出してもいい。自由に。でも難しいのでは? というイメージがあるから、それを払拭したいんだ」と。立派。
 そして「最近の悩みは?」と聞くと、
「いろんな人がいて、SNSで誹謗中傷して、平気で人を傷つける。意味がわからないし、そういう人がいることが苦しい」と。
 彼はまわりへの感度が高く、繊細な子。そしてやっぱり優しい子。そんな彼をよく知っているから「それはしゅうの良さだけど、あなたは人の気持ちがわかるからこそ、自分を犠牲にするでしょ。まずは自分を、自分が一番大切にしてあげないと」と伝えました。彼は「やべ、こんなところなのに涙が」と言ってうつむきました。

 最後に「花まるをやってよかったことってある?」と聞きました。数秒考えたのち、彼は言いました。
「大切にすべき人をちゃんと大切にしたほうがいいということです。そう花まるで、先生から学びました。だからぼくは今日来たんです」

 彼からの連絡は決まって3月14日。たった一言、
「先生、お誕生日おめでとうございます」
 込められていた想いに、視界がにじみました。私の人生がまたひとつ、豊かなものになりました。

花まる学習会 北澤優太