Rinコラム 『本当の自分を生きるとは――作品は誰のものか』

『本当の自分を生きるとは――作品は誰のものか』2026年3月

 アート(創作と鑑賞)を通したクラスでは、毎回哲学的な問いを子どもたちとともに考えます。私たちはそれを「ARTのとびら きはん」と呼んでいます。その最初の問いが、「自由とはなにか」です。

 このクラスの目的は、「その子の分身である作品を通して、その子自身を承認すること」にあります。より自由に、より自分の「やりたい」に正直に生きていくために。

 意欲や自発性を損なうことなく、他者の表現に出合い、違いに触れ、意見を交わす。そのための「環境」を何より大切にしています(詳しくは拙著をご参照ください)。

 「じゆうに、やりたいように、つくってください」この言葉は、「自由に、自分の人生を生きてください」というメッセージでもあります。他者の評価を基準にしている限り、人は本当の意味で自由にはなれません。基準が常に「外」にあるからです。

 自分で考え、自分で選び取り、自分を貫く。とことん自分を知り、自分を信じる。その強さがあってこそ、人は自分の軸をもつことができます。そして興味深いことに、「じゆうな表現」を大切にされてきた子ほど、その先にある、仲間や他者への共感・理解に自然と開かれていきます。

 基準はすべて「内」にある。この生き方は、アーティストのあり方とよく似ています。自分のなかにある譲れないものを掘り下げ、表現していく。本来、本当の自分を生きるなら、誰もがアーティストなのです。

 ところが日常のなかでは、こんな言葉が何気なく子どもに向けて投げかけられます。
「なんでそんなやり方をしているの?」
「そこはやりすぎじゃない?」
「それ以上やると汚くなるからやめて」
 大人自身の価値観を、無自覚のまま子どもに押しつけてしまう瞬間です。
 作品は誰のものでしょうか。

 「これは僕の作品だから、口を出さないで」と言える子はいいのですが、「どうすればいいの?」と、考えることをやめ、大人に判断を委ねはじめる子もいます。
 そうなったとき、作品はもはやその子のものではなくなってしまう。そしてそれは、その子の「人生の選択権」を、少しずつ奪っている状態でもあるのかもしれません。

 いつでも創作が身近にあった私が、なぜそれを必要としていたのか。いまならわかります。「みんなと一緒」や「大人にとってのいい子」であることに違和感を覚えていた子ども時代。創作している時間だけは、誰かの期待ではなく、自分の「好き」に正直でいられました。そこにこそ、自分らしく生きる感覚があったのです。

 何に価値を感じ、何に心が動くのか。それは、その人のなかにしかありません。それが確かであれば、人生のどんな局面でも、自分のなかに答えを見出すことができます。
 何をやりたいのかがわかっているかどうか。それは、その人の幸福感を決める羅針盤です。子どもたちが、誰のものでもない自分の人生を、自分で決めて歩いていけますように。

 冒頭の問いに、子どもたちは口をそろえてこう答えます。「じゆうとは、自分で決めること!」

 あなたとほかの人の行き先は違っていていい。間違いという道はありません。自分の心を中心に置いて歩いていけば、いつかちゃんと、あなたの場所にたどり着きます。
 どうか、自分の道を歩いていってください。

井岡 由実(Rin)