松島コラム 『丙午に思う』

『丙午に思う』 2026年2月

 今年は60年に一度の「丙(ひのえ)午(うま)」の年にあたります。この年に災害が多いというのは科学的根拠のない迷信です。しかしだからこそ私たちはこの節目を、災害への備えを改めて考える機会として受け止めてもよいのではないでしょうか。
 東日本大震災から今年で15年が経ちます。「忘れない」という言葉をよく耳にしますが、本当に難しいのは、あの日の出来事をただ記憶することではなく、日常のなかで次の命を守る行動につなげることだと思います。
 以前、震災遺構となっている仙台市立荒浜小学校を訪れたことがあります。海に近い平野部に建つ校舎に足を踏み入れた瞬間、「ここに人がいた」「ここで助かった命があった」という思いが胸に迫ってきました。現地に立つことで、災害はニュースのなかの出来事ではなく、心の奥に重く入り込んでくるものなのだと実感しました。荒浜小学校では、子どもたちや教職員、地域の方々が校舎の上階へ避難し多くの命が守られました。校舎は甚大な被害を受けましたが、「上へ上へと逃げる」という垂直避難の判断が命を救いました。
 一方で石巻市立大川小学校では、多くの児童と教職員が犠牲になりました。すぐ近くにある高台に避難することができませんでした。大川小学校の出来事は、いまも私たちの胸に重く残り続けています。
 同じ津波、同じ学校という場所。なぜ結末が分かれてしまったのか。立地や当時の状況の違いはたしかにありました。しかしこの問いは防災を考えるうえで決して避けて通れないものだと思います。
 災害時、人は驚き、迷い、動けなくなります。それはだれにでも起こりうる自然な反応です。だからこそ防災は心がけではなく準備の問題なのです。「どこへ逃げるのか」「いつ逃げるのか」「だれが避難開始を判断するのか」「子どもをどう並ばせ、だれが先導し、だれが最後尾を守るのか」「迎えに来た保護者には、どう対応するのか」。花まるグループでは災害に備えて、スタッフの研修や訓練を行っています。頭の中にあるだけでは足りません。役割や手順が仕組みとして定まっている必要があります。分かれ道をつくるのは場所だけではなく「あらかじめ決めてあったかどうか」なのだと思います。
 震災の教訓は年月とともに少しずつ風化していきます。それは日常に戻るということの裏返しでもあります。だからこそ大川小学校の教訓は、制度だけでなく人の言葉と行動によって受け継がれているのだと感じています。その中心にいる方の一人が、佐藤敏郎さんです。佐藤さんは大川小学校でお子さんを亡くされたご遺族であり、語り部として大川の出来事を伝え続けています。悲しみを胸に閉じ込めるのではなく社会へ開いて届ける。その姿勢は簡単に真似できるものではありません。思い出すたびに心が削られる。それでも語り続けるのは、「同じ悲劇を繰り返してほしくない」という強い願いがあるからなのでしょう。あるご縁で佐藤さんのお話をうかがったことがあります。現実を生き抜いてこられた方の言葉は、遠い出来事だと思っていた震災を、一気に「自分の責任」に引き寄せる力を持っていました。この感覚こそが、風化を止める入口になるのだとも感じました。また、佐藤さんの長女・佐藤そのみさんの活動も大川小学校の教訓を別の形で社会へ手渡しています。映像作家として作品をつくり、喪失の痛みを数字ではなく輪郭のある現実として私たちの胸に届ける。一人ひとりに生活があり、明日があり、家族がいたことを思い出させる力が映像にはあります。古い作品でもあるため上映場所や日程は限られていますが、機会があればぜひご覧ください。
 ご家庭で逃げる場所を話し合う。避難ルールを確認する。地域のハザードマップを見る。非常持ち出し袋を見直す。災害はいつ起こるかわかりません。でも備えは今日から始めることができます。
 誰にも予測できない未来だからこそ、私たち自身の命、そして子どもたちの命を守る方法は、日常のなかの小さな気づきと行動の積み重ねなのだと思います。

スクールFC代表 松島伸浩