西郡コラム 『言葉にする』 2020年1月

『言葉にする』 

 できない、教えてもらったからできた、一人でできた、スラスラできた、説明できた、教えることができた。言葉にして説明できる、教えることができるまでになると学習の成果も最終の段階になる。見聞きしたこと、自分の考え、感覚など、あらゆることを言葉にする。面倒で難しいが、言葉にする力は生きる力になる。

 多くのヒット商品を手掛けている、ある著名なデザイナーの話だが、自分のデザインをプレゼンするとき、デザインをビジュアルで見せるだけではなく、すべて言葉で説明できるようにするそうだ。「この部分はなぜ赤なのか」「なぜこの濃度の赤なのか」、“ただ何となく”ではなく、それらの意味をすべて言葉にできて初めて、デザインしたと言えるのだという。

 感覚を言語化することの意味は二つある。一つは、「言語という形で自分の中に蓄積させていくことが可能になる」ということ。蓄積する過程の中で、試行錯誤、再試行を繰り返し、深めている。もう一つは、「人に的確に伝えることができるようになる」ということ。

 一流のスポーツ選手が、必ずしも一流のコーチになれない。多くの場合、すばらしいノウハウを持っていても、それを言葉で伝えることができないからではないか。自分の中にあるものを的確に伝えられる要約力や語彙力、表現力などがあってこそ、相手を動かすこともできる。自分の気持ちを言語化できることも大切だ。友だちと遊んだ帰り道、原因ははっきりとはわからないけれど、友だちとの会話で何か嫌な感じがしたな、ということは誰にでもある。それを突き詰めて考えると「自分が馬鹿にされているような話し方だったな」と、原因を洗い出すことができる。「相手の話に嫉妬してしまっていたな」ということもある。言語化することで、気持ちが楽になることもある。「次同じように言われたら、言い返そう」とか、あるいは「もう言わないようにしよう」と考えることもできる。自分が感じていることを言語化していくことで、自信を持って生きていくことができる。言葉にすること、言語化は、生きる力の一つになる。

 “言葉の力”を養う初歩的な方法は、たくさんしゃべらせることだ。それには“聞き上手”がいい。学校から帰ってきた子どもに「今日は何があったの?」と聞く。大事なのは、返って来た答えの内容をジャッジしないことだ。目的は子どもから情報を得ることではなく、しゃべらせることにある。「今日はふざけて教科書に落書きをしたんだ」と子どもが話したとき、「そんなことしちゃダメでしょ!」と小言を言ってしまったら、子どもはもうそれ以上話さない。無理に引き出そうとする必要もない。子どもが話したことに対して、「ああ、そうなの」と、同意してあげるだけでいい。思う存分しゃべらせてあげることができればいい。

 会話に結論を求めないことも大切だ。言語力が発達段階にある子どもとの会話では、質問に対してとんちんかんな答えが返ってくることはよくある。「今日は何をしたの?」「給食がおいしかったよ」というような会話、ついつい、「そんなこと聞いてないでしょ!」と言ってしまいたくなるが、長い目で粘り強く「ああ、そうなの。面白いね」「うん、うん。それで?」と、聞いてあげてほしい。また、「今日はどうだった?」のような漠然とした質問ではなく、「今日は体育の時間に何をしたの?」というように、具体的に問いかけてあげるようにするといい。会話のキャッチボールは言葉を受け取り、投げる、双方の疎通が大切だ。最初からキャッチボールは上手くいかない。取り方もぎこちなければ、暴投もする。正しいフォームを教えるは後のこと。まずは、子どもから「キャッチボールをしよう!」と言わせることだ。

 “言葉の力”をつけるためには、もちろん読書。文章の表現や語彙など、サンプルをたくさん手に入れることができ、文章を書く力や表現力を高めていくことができる。書くこともまた、言語化の大事なトレーニング。立派な作文を書かなくていいから、本当に感じたことを書く、でいい。事実の羅列ではなく、感じたことを拙いなりに表現しようとしていることを認め、伸ばすことを心掛けたい。

西郡学習道場代表 西郡文啓