西郡コラム 『「走れメロス」の感想文から』

『「走れメロス」の感想文から』 2023年9月

 夏期講習の前半最後の国語の授業で、感想文の書き方を学習した。今年の題材は「走れメロス」(太宰治)で、私は「読み聞かせ」と、添削を担当した。子どもたちに読みを任せると速い、遅いがあり、読み終わりが揃わない。ある程度、内容を理解してもらうため読み聞かせをする。
 読み聞かせでは、演じた読み方をしない。たとえば、「『市を暴君の手から救うのだ。』とメロスは悪びれずに答えた。『おまえがか?』王は、憫笑(ルビ:びんしょう)した。『仕方の無いやつじゃ。おまえには、わしの孤独がわからぬ。』『言うな!』とメロスは、いきり立って反駁した。」このくだりで「憫笑した」「いきり立って」反駁(ルビ:はんばく)した」をもっともらしく表現した、演じた声で読まないこと。言葉、文章を明確に伝えることだけに徹して、言葉そのものが持つ、言葉の力を子どもたちが感じ取れるようにつとめる。「憫笑」「いきり立って」「反駁」は、文脈で子どもたちが想像する。演じた声では彼らに表面的な絵を与えてしまう。彼らが自ら創造すること自体が学習だ。
 「走れメロス」の文体は簡潔でリズム感があり躍動的なので、一語一語を明確に間違えないように集中して読よむと、場には緊張感がうまれ、子どもたちはドラマチックな構成、劇的な人物や場面の劇的な描写にひき込まれる。その結果、文を書くのは苦手、面倒と言ってる子どもも、すんなり感想文を書くことに取り組みだした。
 あらすじは取捨選択して絞り込み要約することになるが、これは難しい。時間もかかる。あらすじは後にして、登場人物のなかで、もっとも魅せられた人物、興味を持った人物を一人、選ぶことから感想文を作りはじめる。誰を選んだか、選んだ人物をどう思ったか、どう感じたか、どの場面でそう思ったか、どう行動をしたからそう思ったのか、なぜそんな行動をしたと思うか、そもそもなぜその人物を選んだかなどの問いをたて、その問いに子どもたちは自分にひき付け掘り下げて考えて答える。その答えが感想文を書く材料になり、繋ぎ合わせて感想文を書きあげていく。
 多くの子は「メロス」を選ぶ。妹の婚礼のため三日の猶予を願い、友を人質にして村に戻り、婚礼を終え市へ急ぐ。メロスは睡魔に、川の氾濫に、山賊の襲撃にあい、王との約束の時刻までに間に合わない、何度も諦めかけるが、気力を奮い立たせ、必死になり処刑場にたどり着く。「自分の命を懸けて、暴君ディオニスに意見をいう」「勇気を出して正しいことをつらぬく」「友達を助けるために自分の命をかけている」など、この作品がうたう正義や友情の大切さを、子どもたちは読み取り、書いてきた。困難を乗り越え、諦めない気持ちの強さを取り上げた子どももいた。
 人質になった、メロスの竹馬の友セリヌンティウスを選んだ子どももいた。「生れて、はじめて君(メロス)を疑った。(略)」とラストの場面で初めてセリフを吐く程度の登場だが、「自分も一番信用できる友達がいる」「人質にされても信用できるかもしれない」という理由でセリヌンティウスを選んでいた。友と出会う高学年には、友との信頼が最も心に残ったようだ。
罪のない人を殺すという理由で王を最も印象に残った人物とした子がいた。彼は暴君ディオニスの「邪智暴虐」(ルビ:じゃちぼうぎゃく)に憤り、断罪するというのではなく、むしろ、自分と似ているという。「(自分が)おこると○○なんて、いなくなればいい、というときがある」暴君ディオニスに自分を重ね、性格を王も自分も「短気」ととらえた。この子は私と授業や自習で何度もバトルをして「西郡なんて、大嫌いだ!」と訴えてきたこともある。他人に指摘されれば反発することも、文学作品を読み、登場人物の心情を読み取り、そこから自分を顧みることがで、自分の感情を抑制する。文学作品を読み、感動したり怒ったり悲しんだり笑ったり、心を動かすことで人間性が育まれる。彼が暴君ディオニスを選び、自分と似ていると正直に書いたところに、彼の成長を感じる。彼は「走れメロス」とい文学作品を読んで、彼の人間性は成長した。感想文は、自分にひき付けて書くことで深まる。
 最後に、子どもたちに自分の好きな本、物語でなくても図鑑でも何でもいい、持ってきて、みんなに紹介してもらった。自分が選んだ、自分の好きな本のことは、おもしろがってよく語る。好きな本を紹介したように「走れメロス」を紹介してみよう、そして、それをあらすじとして書いてみよう。考え込んで立ち止まることなく、子どもたちはあらすじを書き始めた。

西郡学習道場代表 西郡文啓