『作文に書いた、卒業生の言葉 2』 2025年5月
中学受験に奮闘した6年生に受験体験記を書いてもらった。初めて経験する受験に何を思ったのか、子どもたちは綴った。
■ K・Hさん 「何倍もうれしい」
「私が中学受験をはじめたのは6年生の12月、友達に『やってみたら』と言われたのが最初でした。ためしに模試を受けてみるとわからない問題がほとんどで算数は半分しか解けませんでした。」
6年生の12月に受験生を受け入れることは、まずない。彼女の志望校が、基礎的な学力があれば、入学後に伸ばしますと自負する学校であったこと、花まる学習会の高学年コースに通い、小学校の学習に苦労はしない、楽しめるだけの学力があること、言葉数は少なく、大人しそうに見えるが秘める思いは強く、不合格のダメージより挑戦しない後悔のほうが大きいだろうということで、最後の一か月、道場の受験生として受け入れた。
「自分から質問が出来ず、わからない事があってもそのままで、朝道場の問題はほとんど×印がついていました。こんなのもう絶対無理だって! そう思って最初から問題を解くのをあきらめていた時もありました。一度、勇気を出して質問してみると、先生がわかりやすく教えてくれたので、それから何回も質問ができるようになりました。」
入試問題に戸惑い、対応できない。やはり無理か、諦めるかと思ったが、彼女は折れなかった。だれでも知っているようなことでも、自分がわからなければ聞く。聞いて、わかって、復習して、自分一人でやって、できて、次に進む。この基本的な学習のやり方を彼女は素直に受け入れ、効率よく学んだ。
2月1日、はじめての入試問題は「意外とスラスラ出来た」そうで、あっけなく合格してしまった。彼女はこれで入試を終わらせなかった。入試の成績が良ければ、授業料等免除の「特待生」になる。親の負担を減らしたいという思いで、2回目も受験して「一年間特待」を勝ち取った。さらに「三年間特待」を目指して3回目も受けたが、結果は2回目と同じ。諦めず最終の4回目まで受け続け、見事に「三年間特待」の成績で合格した。体験記には「何倍もうれしかった」と彼女は書いていた。
最も遅く受験生になり、最も遅くまで受験生でいた。最後まで、彼女は学力を伸ばし続けた。
■ K・Tさん 「最後の一か月は地ごく」
「中学受験をしない人がうらやましかった。高校受験の人たちは私が塾で宿題をやっている間に遊んでいる」それでも中学受験をするのは「第一志望校と第二志望校が両方とも高校からは受け付けていなかったから」だった。そして、「最後の一か月は本当に地ごくでした。学校を休んで勉強するようになって、過去問を解くようになって全く合格者最低点が取れず、泣きながら勉強していました。そして、本番一週間前は毎日ノート一冊分を使うようなりました。」
入試まで時間がない。集中して学習するしかないとわかっていても、焦りと不安のなかでは思うように取り組めず、志望校の合格が見えてこない。彼女は最後の一か月を「地ごく」と書いた。「地ごく」と苦しんだのは、これだけではなかった。
画面にあるがままの姿を映すことからオンラインの学習は始まる。彼女は授業や自学室に参加しても、どこかを隠して正体を見せない。指摘しても徐々に戻る。この態度は、答え写しやごまかし、できた振り、カンニングにあらわれた。小学校では比較的学習ができても受験学習になると伸び悩むのは、できない自分に直面せず、取り繕うからだ。
道場では、学習の終わりに日記を書き、振り返りをする。彼女は終了時間になっても何も書かず、時間切れになって、「がんばった」程度を書いて退出する。判断しない、言葉で表現しない。彼女の学習は積み重ならず、過去の入試問題をやっても「合格者最低点」も取れない。
志望する私立学校は2校とも高校の募集はなく、中学受験が最初で最後の機会だ。入試も差し迫り、このままでは合格できない。志望校を変えることには頑なに拒否した。入りたいという強い希望と今年しか受験できない危機感が、「地ごく」の一か月で彼女を徐々に変えていった。自分の学習がすべて見えるようにカメラの位置を変えた。日記や振り返りを自分の言葉で書くようになっていた。「毎日ノート一冊分を使うようなりました」という「本番一週間前」、明らかに彼女は変わった。隠す、ごまかす、取り繕うといったことは微塵もなく、苦悶の表情はしているのが、緊張感があり、自分の学習に集中する、きびしさがあらわれた。そして、彼女は、合格した。
彼女の「地ごく」は、自分を変える、生みの苦しみだった。
西郡学習道場代表 西郡文啓