西郡コラム 『“スラスラ”は、よい学習を続けたあかし』

『“スラスラ”は、よい学習を続けたあかし』 2025年11月

 子どもの書いた字から、その子の成長が見て取れる。幼さは書く字に表れ、大きかったり小さかったり字の大きさが一定しない。字が重なったり、字が抜けて言葉の意味がわからなかったり、筆圧が一定しないから字が濃かったり薄かったりする。ノートの行に書く字は蛇行する。こういった字が成長とともに変わってくる。身体の成長とともに筆記用具を持つ手に力がつき、字の大きさも筆圧も一定になってくる。語彙が増え、一字一字からまとまった言葉の塊を書くようになり脱字が減る。心の成長とともに、一気にまっすぐに字を書けるようになる。字で彼らの成長を感じる。
 学習道場では子どもたちが日記をつける。この日記を朝道場で私は見ている。気づかないほどわずかに字が変わっていく子もいれば、一体この子に何があったのかと思うほど劇的に変わる子もいる。いずれにせよ、同じ大きさの字で一直線にスラスラ書けるようになると学力も上がっている。子どもたちの書く字の変化で「伸びない子はいない」と実感する。
 九九を覚えるまでにかかる時間は能力によって違ってきても、たいがいの子は練習すればスラスラと言える。九九から四則計算になり、指を使う子がいても、練習量が増え学年が上がってくると一定の速さで解けるようになる。二桁三桁の四則計算になり、小数・分数が入ってきて、あまりが出る小数の割り算や分数÷分数など、すぐにはできないことが出てくると苦手・無理と決めつけて躓く子もいる。しかし、小学校の学習内容ならどんなに難しいと思えることも、諦めずに手順を踏んで続けていけば、基本的な計算は大方の子は克服できる。
 朝道場で、毎朝、「サボテン」(一か月間同じ解法で解く計算問題の教材)をやっている。最初はできなくても諦めないでほしい。1問目で解き方を学び、解法は同じなので毎日続ければその月の末には課題のページを苦なくできるようになる。やり続ければ自分はできることを自覚して肯定感が芽生える。能力の差を訓練で補うことができる。スラスラと計算ができることは、割合・速さや図形問題等など算数問題を解く基礎基本になる。
 わからない、できないから始まり、説明を聞いてわかり、自分で試してみてやって、わかってできて、練習してスラスラ解けるようになって、最後に人に説明できるようになると、自分のものになっている。スラスラできるということは、正しいやり方で練習を続けたあかしだ。
 語学の基礎訓練は音読にある。読み飛ばしたり、読み間違えたりしないで正確に読むことは精読の訓練になり、読解力を高める。名文美文、古典などを音読することで、語感や文章のリズム、調べを体感する。朝道場でも、毎朝、四字熟語・古典や詩・400字程度の文章を音読している。400字程度の文章をスラスラと音読できることを国語学習の基礎としている。英語でも中学校の教科書をスラスラ音読できる生徒は、英語の定期試験で悪い点数を取らない。
 朝道場はコロナ禍で道場の学習をオンラインに切り替えたときから始まり、平日、毎朝やっている。私も読み飛ばしや読み間違えをしないようにと集中して、毎日子どもたちと音読している。毎日やるから字をはっきりした音で出せるようになった。私の活舌の悪さも克服しつつある。そして、なによりも没頭して声を出し切ることで、心身が解放される。音読の恩恵を私自身が身をもって感じている。
 私は小学4年生のとき、学校の水泳クラブに入った。泳ぎだした頃は体も小さく体幹も弱かったので、腰はぐねぐねと動いて、ただバタバタともがいて力みすぎて前に進まない。そこから練習を重ねていくと次第に腰が安定して、手と足をタイミングよく動かすことができるようになってきた。毎日泳ぐことで無駄な力は削ぎ落とされフォームが固まり、タイムを計るほどの速さで泳ぐことができた。それでも水泳大会に出て拍手で迎えられるほどダントツのビリで一生懸命に頑張りましたといった程度の実力でしかなかったが、自転車を漕ぐのと同じで一度泳ぎを覚えると、いつでも泳ぐことができる。
 がちがちに固まった身体では、ものは考えられない。サッカーや野球では、どこにボールや球が来ても反射的に動けるように身体は解放されていて、いいプレーができる。私は二十歳を過ぎてピアノの練習を始めたが、音符はわかっても指が反応しない。指が固まったままでもどかしい。ピアノを弾くことはあきらめた。「スラスラできる」は心身が解放されリラックスできるからで、集中はリラックスした状態から生まれる。対象に集中したとき身体は解放される。スラスラできる学習は最適化されている。

西郡学習道場代表 西郡文啓