高濱コラム 『今を生きる』

『今を生きる』2019年10月

 サマースクールが終わりました。最高の夏が、また一つ過ぎました。たくさんの会場を周りましたが、どこに行っても、子どもたちの没頭する姿と笑顔が輝き、本当に可愛かったです。講演会何本分になるだろうというくらい、濃密で記憶に残るシーンの連続でした。その中の一つ、「高濱先生と行く修学旅行」について書きます。

 昨年に引き続き、高校生1名を含むリーダー6人は全員卒業生。かなり大人びて、懸命に頑張る姿にはジンと来ました。復興が進み「がんばれ!」と言いたくなる熊本城、草千里の雄大さ、人吉城址でのバッタ探し、森のクワガタ体操、青空の下の合唱、かわせみやませみ号での列車の旅、熊本市内自由散策…。どれも素晴らしかったのですが、このコースの一番の魅力は夜の「語り合いの時間」。夢や人生や人間関係について、毎日熱く発表しあいました。特に、チームで一番評価の高かった子は、全員の前で発表する機会も作ったのですが、皆堂々としてユーモアも説得力もあり、時代の変化を感じました。
 今年は思うところあって、私も一人ひとり全員と個別の時間を設け、悩みを聴いたり、日頃の家庭や学校への思いをインタビューしたりしてみましたが、みんな驚くくらいさらけ出して語ってくれました。親のことをよく見ているし、よく考えているし、自分の5・6年時に比べてずっとしっかりしているなと感じました。

 さて、2日目、人吉は万江川でのことです。地元の川遊び名人Hじいちゃんの指導で魚を捕まえたり、ウォータースライダーよろしく流されてみたりして、各々楽しくやっていました。何人かが3メートルくらいある堤防の上から川に飛び込みを始めました。少々踏切がたじろいでいて思い切りが悪い子が多かったので、お手本を示そうと、私はてっぺんに行き、子どもたちのカウントダウンに合わせて助走をつけ、跳ねました。すると、ふくらはぎにバチンと棒で殴られたような痛みがありました。ただ事でないことに気づき始めたとき、一人の大学生リーダーが近づいてきました。彼いわく、後ろから叩かれたような痛みという点などから、それはアキレス腱などの断裂や肉離れではないかと。9年前、中学受験生(の6年生)でありながら修学旅行に参加したSくんです。大の魚好きで釣りが好きな彼は、小学生ながら大型魚を包丁でさばいていましたし、岩場からのバク転にも挑戦していたので、記憶に残る子でした。今は医学生となったのですが、川で冷やせ、動かしすぎるなと、親身にアドバイスをしてくれました。言葉は一見きついのですが、愛情があり幸福を感じました。彼の指示(老いては子に従え、ですね)通り、病院に向かったのですが、送ってくれたのは、元花まるの社員。人吉市の小学校への貢献事業として赴任し、そのまま市の職員となって地元の女性と結婚したIくんは、車椅子を押してテキパキと動いてくれました。そのうえ、たまたま同行したカメラマンが前職に整体をやっていたということで、実に細かく適切な指導をしてくれ、テーピングを丁寧にしてくれました。この一連のラッキーなめぐりあわせのおかげで、病院では立つこともままならなかったのに、少しずつ松葉杖を使って歩けるようになり、徐々に自力歩行できるようになりました。

 そんな状態で、4日目に向かったのが嘉島町湧水公園天然プール。水の湧き出る場所にプールの枠組みを構築しているので、飛び込めば魚が泳いでいるというレアな経験のできる、私も大好きな場所です。たまたま到着時は小雨だったので、ほぼ貸し切り状態で遊びはじめ、そのあとは雨もやんで、どんどん盛り上がりました。忘れられないのは、手足に麻痺の残る6年生の男の子Sくんです。性格はジェントルマンですが、経験がないのか飛び込みだけはできません。すると、何人かの男の子が「やろうぜ!」「Sならできるよ!」と引っ張ってくれたのです。何回も押し引きがあったあげく、最後は一番熱心に誘ってくれたTくんと肩を組んで飛び込みました。それからは、堰を切ったように何度も何度も二人で飛び込んでいました。美しいドラマを見届けました。

 さて、飛べない私を横目に、歓声とともにジャンプしては水しぶきをあげ、白い歯を見せながら岩場に上がり、再び飛び込みの場所に小走りに戻っていく42人の子どもたち。いつの間にか同じように加わりはしゃいでいる若きリーダーたち。その循環は、水上の祭りのようでした。どんどん激しくにぎやかになり、みんながゾーンにはまり込んでいく。マティスの「ダンス」の躍動を思い出しました。雨あがりにのぞいた晴れ間の下、それは美しく尊い光景でした。

 そして炸裂するその姿を見ていて、ふと気づきました。「空間認識力を伸ばすためには外遊びがよい。やり通す力を伸ばすのにも外遊びがよい。人間関係の力を伸ばすためにも多様な人と触れ合い外で遊ぶことがよい…」私は著作や講演会で、賢しらに語ってきた。しかし、今、目の前の子どもたちの中に、「〇〇を伸ばすために遊んでいる子」などいない、たった一人もいない。子どもたちはただ、今を生きているだけだ。将来のためにではなく、今遊びたいから遊んでいる。純粋に。今走りたいから走り、歌いたいから歌い、鬼ごっこをしたいからし、基地を作りたいから作っているのだ、と。

 思えば、次に出す『SD20 20歳からのセルフデザイン』という若者向けの本で、共著者の木村尚敬さんと、これからの時代につけたい力である『人間力』を伸ばすものとしてまず挙げているのが、①恋愛、②チームスポーツですが、これも同じです。「将来のために人間力をつけるぞー」と恋をしている若者はいません。ただ夢中なのです。部活だって、みんなと勝利を目指す空間が好きで楽しいからのめり込める。

 人生は単純に原因と結果を言い切れるものではありませんが、どうやら、その年齢その年齢で、夢中に〝今〟を生きた人は、ランキングやブランドに翻弄されずに「大好きなこと」を見定められるし、次に生きていく力を得ていく仕組みになっているようです。自分がのめり込めることを仕事にして、水面に飛び込む子どものように働いていられる人は幸せです。家族の時間も同様で、みんなで一つの幸せを共有することをシンプルに満喫できる人が、幸せになれるのでしょう。

 遊ぶ子どもの姿ほど、まぶしく輝くものはありませんし、大人の今を問われている気がします。

遊びをせんとや生れけむ
戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声聞けば
わが身さへこそゆるがるれ(梁塵秘抄) 
    
花まる学習会代表 高濱正伸