高濱コラム 『心の壁をこえて』

『心の壁をこえて』2019年11月

 ~ 修学旅行から その② ~
 Kくんという5年生の男の子がいました。知的には明らかに高いものを持っている反面、感情のコントロールが苦手で、私の思い出では、10年以上前にいたプンプン丸くんというあだ名の少年に似ていました。教師からの「これをやりなさい」という指示はすっとやる一方で、友人間での負けやからかいには、何もそこまで怒らなくてもいいだろうというくらいにキレる。とはいえ、彼は筑駒から東大に行ったのですから、才能を活かせたとは思います。こういう子で気をつけなければならないのは、学校という社会生活でいじめられたりつまはじきにされたりして、二次被害としての自己肯定感の低さにつながることです。
 さてKくん。誰かとちょっとぶつかると「死ね!」「殺す!」「じゃあ死んで、〇〇のせいで死にますと遺書に書いてやるからな」などと、極端な言葉を言い放つ。一方で、それはどの方向にも躍動する心でもあって、かわいい魅力も発揮していました。
 例えば、阿蘇の草千里(千里と名付けられたくらい広い広い草原)中に聞こえる大声でワーワー泣き出す。どうしたのかと近づくと、持参したカメラを泥の上に落として、泥が詰まってしまい、カメラの蓋が開かない状態になってしまったとのことでした。この世の終わりのように泣いて収拾がつかないので、あれこれ聞いてみました。すると「お母さんに怒られるー」と、ヒックヒック乱れる呼吸の中で言うのです。(そうか、そこが気になるのか。かわいいなあ)と感じながら、「そこまで泣くなよ。大丈夫。俺が羽田空港でお母さんに説明してあげるから」と言ったのですが、彼はなんと「あなたは、うちのお母さんが怒ったところを見たことがないから、そんなこと言えるんだー!」と、さらに泣きじゃくるのでした。
 また、彼は鉄道マニア=鉄っちゃんの一面がありました。夜の語り合いの最後に私が、「実は今まで言わなかったけれど、明日はかわせみやませみ号(ななつ星のミニ版のような、スタイリッシュな木の内装で、鉄のみなさんには有名)に乗りまーす」と発表した瞬間。彼は立ち上がり天に拳を突き上げて「ヤッター!!まじか!ヤッターーーー ーー!」と歓喜したのです。その姿を見て、他の子全員の心の中で「そんなにすごい電車なのか。楽しみ!」という気持ちが芽生えたと思います。価値を引き上げてくれたのです。それは翌日実際に乗車したときの、みんなの目の輝きでわかりました。
 要は活き活きとした感受性を持ち合わせた子なのですが、こういう素敵な面を見せながらも、私の印象としては、8割は何かにブツクサ言い、喧嘩していました。ただ、良かったのは、男女ともに6年生たちが精神的に大人で、まともにぶつかり合うというより、食ってかかるKくんをいなしている感じで、何とか受け入れようとし続けてくれたことです。
 最後の夜。作文を書くとき、「Kくんは今日中に終わらないかもな」などとリーダー間で話し合っていたのですが、報告を聞くと一番に書き上げたとのこと。その作品がこれです。

  友情という名のきずな
 今日で最終日。もうみんなとわかれるなんてさびしい。そう思う理由がある。
 「うるさいんだよ!」ぼくはすぐみんなとけんかするタイプ。それで高はまリーダーや、リーダーたちがかいけつしてくれて、けんかはなくなるどころか、仲良くなっちゃったりして。
(中略)
 だけど、わかれないといけない。家の父母のことを思うと、かえらなければいけないと思う。
 さいごに。4はく5日いっしょにいた友だちへ。ぼくとなかよくしてくれてありがとう。また、リーダーたちややどのかたをはじめ、本当にありがとうございました。
 ありがとうございました。

 教え子でもある大学生や高校生リーダーたちと作文を読みまわしたのですが、この作品には、みな目を丸くしていました。それほど、活動中のキレキャラと、落ち着いた文章の間にギャップがあったからです。
 空港に向かうバスでの、MVP発表。私は、まず作文を読み上げました。「これ誰だと思う?実はKくんなんだよ」と話したときの、一瞬の静寂を忘れません。息を呑む感じ。私たち同様、現実のふるまいと書かれた紳士的な内容との格差に驚いたのです。心の壁が崩れ落ちる音が聞こえるようでした。
 私はこう言いました。「MVPはKくんにあげようと思う。それは人間を学ばせてくれたから。学校にもいないかな、すぐ突っかかってくるような子。『嫌だな、面倒くさいな』と感じるかもしれないね。でも、みんな本当は心の中では仲良くしたいと思っている。それを、教えてくれたよね」と。皆すごくうなずいていました。

 よく、心を学ぶと言います。座学で何かを読んで学ぶことにも意味はありますが、私はサマースクール方式がベストだと信じています。友だち申し込みなし、多学年、男女混合での活動、自然の中での遊び。家庭文化も常識も微妙に異なる多様な人たちと寝泊まりを共にする活動の中で、相手の心象を想像し合う。今回も、Kくんのことだけではなく全員が全員に対して、小さな負担と克服を繰り返したはずです。それは、一日が濃密な子ども時代にはすこぶる貴重な経験になります。苦味・負担を感じるときは、心を強くするチャンスです。「なんなんだよこいつ」と感じたり、負けて悔しかったり、過ごし慣れた家庭の安定に戻りたくて寂しくなったり…。今回の例が典型ですが、それを乗り越えたとき、子どもたちは「やっぱり友だちといる方が楽しいな」と世界を肯定的に感じられるようになります。幅が広がり強くなれます。
「サマースクールは、バカンスではなくスクールです」とパンフレットには書いてありますが、その典型事例だったなと感じつつ、私自身も学びになったエピソードでした。高校生リーダーや大学生リーダーと夜のミーティングや風呂場で、彼らが参加した野外体験の思い出を語り合うのはしみじみと幸せな時間なのですが、今回参加した子たちがリーダーになって戻ってきて、この夏のことを思い出として語り合うときが楽しみです。

花まる学習会代表 高濱正伸