高濱コラム 『無人島で考えた』

『無人島で考えた』2021年10月

 無人島サマースクールが、始まりました。二回の開催だったのですが、一回目は、二つの台風が地図上で島を避けるように上下に離れた進路を進んでくれ、二回目は大雨予報との戦いだったのですが、線状降水帯がまたも島の北部と南部に発生しながら直撃しないでくれたりと、運も味方してくれました。無数の星を眺めたり、真っ赤な満月が海にきらめきながら上っていく姿に見とれたり、泥だらけになりながら山の頂上まで「非常食(万が一のための食糧を、島で一番高いところに保存しておく)」を運ぶ手伝いをしてもらったり、ドラム缶風呂に入ったり、思い出が無数にできました。マンツーマンの人生対話では、例えば海に囲まれた岩場に腰掛け、一人ひとりの思いを聞いたのですが、風景の解放感もあるのか、学校の行き渋りのことやご両親の離婚のことも、洗いざらいさらけ出して教えてくれました。
 無人島担当で広島常駐の社員カトパンが友人になった、地元漁師のIくんは、子どもたちに都会の受験当然常識の枠組みとは無縁の大人の輝きを見せつけてくれました。ハンサムでいつも笑顔で、20歳なのに「花まる丸」より大型で高速の船を所有していて、軽快にあやつり、操縦させてくれたり海釣りの指導をしてくれたりと、子どもたちに愛を注いでくれました。あるときは、モーター音と波しぶきとともにさっそうと登場して「サメ釣ったよ!」と釣り上げたサメを見せに来てくれました。リアル「サメ肌」に触れた子どもの手には、忘れられない感触が残ったでしょう。私も持たせてもらったのですが、左右に体をひねる力のあまりの強烈さに驚き、現物に触れる価値を再確認しました。ちなみに、最後の作文で何人かが「僕は、漁師になってサメを釣ります」と書くほどでした。

 さて、私自身も感じ考えることがノート一冊分くらいあったのですが、一つだけ紹介します。それは、皆が寝静まった夜中のことです。テントの真横でするカサカサという物音を聞きながら、「井戸は掘ってみようかな」とか「やはり緊急事態に備えて、木造でよいので頑丈なシェルターは作ったほうがよいな」などと、子どもたちの体験のために今後何が必要かを考えているときに、思いつきました。
 そうか、そもそも普段当たり前と思える水道だって、いつかどこかの先達が「次世代のために、水汲みにいちいち行かなくてもよい仕組みを作りたいな」と思いつき、技術を磨き、大変な工事を繰り返して実現できているのだな、ということです。「先祖たちの子孫への想い」が、想像できたのです。道だって家だって車だって飛行機だって、ぜーんぶ、どこかで不自由の課題を見出し、「子孫がより便利になる夢」を抱いた祖先一人ひとりの、情熱と努力の産物なのだなということです。キャンプから帰ったら、まさにそのテーマのテレビコマーシャルが流れていました。未開の村で、母が身重だか病気だかで少年が手伝うしかなく、ラグビーの練習に行きたいのを我慢して、井戸から自宅まで甕に水を入れて運ぶ。ある日、欠席の理由を知った仲間たちが、各自甕を持参して手伝う。そしてその少年はのちに「村に水道を引く仕事」についた、という話です。世界中で無数の、次世代の生活を想う気持ちがあり、水道がひかれ、道路が作られ、学校が建設された。我々は先達の「いつか子どもたちの住む世界が良くなりますように」という「夢」の実現された時代に生きているんだな、という想いです。ちなみに、朝起きてわかったのですが、カサカサの原因は蛇の脱皮する音で、脱ぎ捨てた殻を測ったらジャスト2メートルありました。脱ぎたての蛇の抜け殻の温かいヌルヌル感とともに、この想いは記憶に残りました。

 子どもたちとの思い出で一番はと言われると、小魚料理でしょうか。米以外の食料は自給という一日。何も手に入らなかったら醤油飯というルールでした。海岸だけでは少し可哀そうなので、Iくんの船に乗せてもらって、一班につき40分だけ沖釣りをしてよいことにしました。すると、瀬戸内の豊かさのおかげで、大物の真鯛や鱧やグジ(甘鯛)などが釣れたのですが、ある班は一匹も釣れないボウズでした。ちょうど私自身が船で出た後のことで、聞いた話なのですが、子どもたちはガックリと気落ちして、他の班からの魚を分けてもらえばよいではないかというリーダーの慰めにも、「いらない」と拗ねていたそうです。ところが、やがて気持ちを奮い立たせ、着替えを入れていたビニール袋などを使って、協力して浜辺のメダカほどの小魚の追い込み漁を始めた。情熱と工夫で徐々に獲れはじめ、20匹ほど捕獲。ちょうどそのとき私も島に帰ってきたのですが、沸き立っていました。しかし所詮小魚、料理の仕方も何もないよなと見ていたら、一人が思いつき、アルミホイルの上に載せて焼きはじめたのです。あきらめない心に感動しながら、分けてもらって驚きました。多分イワシの子なのだと思うのですが、ただ焼いただけのその小魚は、塩味も良い加減で滋味深く、どんな料亭の高級料理よりおいしいと感じるくらい、心底旨かったのです。逆境を跳ね除け、みんなで協力して漁法を発明し、料理法を発明した素晴らしい子どもたちへの、神様の贈り物にも思えました。漁法の発明の中心の子と料理の発明の中心の子、二人の名を取って、「今後、この漁法と調理法合わせて、『ソウスケヒロノリメソッド』と名付けるぞ」と私が言ったときの二人の喜びようは、忘れられません。特にヒロノリくんはもう有頂天とはこのことという表情で、「先生の力を借りずに、俺たち食料を手に入れられること証明したよね!あと一か月くらい居ようよ!」と仲間に呼びかけていました。真夏の陽光を浴びたクシャクシャのその顔は、本当に輝いていました。

 コロナ禍の今だからこそ、子どもたちに伝えたいのは、置かれた状況に不満を言うだけの人間になるなということです。世界には、学習や仕事などの「自分の行動」や「機械の調整」など、努力や改善などでコントロールできることと、「天候」「歴史的めぐり合わせ」「遺伝子(どんな親の元に生まれたか)」「社会に蔓延する疫病」のように、まったくコントロールできない、または完全にはコントロールしきれないことがあります。後者をにらみつけて、「私は不遇だ」と嘆くことほど、命を大事にしないもったいない態度もありません。

 現代は便利過ぎて、生きる意味を見失いがちな時代でもあります。
 子どもたちには、長い時間をかけて積みあがった「便利の集積」の都会に生きていると見失いがちな、不自由体験(「不自由なりに何とかしてみせる体験」や「不自由を乗り越えて楽しんでしまう体験」)を、大自然のなかで経験してほしい。そして、そのなかで、「どんな状況でも愚痴を言ったり嘆いたりせず、与えられた人生ゲームを満喫し、全力を尽くして周りを幸せにする力」を培ってほしいと思います。

 最後に、今年いよいよ始まった「花まる無人島体験」ですが、これが実現できたのも、昨年来、数回にわたって、木々を伐採し、草を刈り、荒れ地をならし、山に道を作りという、大変な労働を担ってくださった「開拓団」の保護者の皆さまのおかげです。皆さまが切り拓いてくださった広場に、子どもたちはテントを設営し、生活し、貴重な経験を積むことができました。ここに改めて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

花まる学習会代表 高濱正伸