高濱コラム 『ルーツ』

『ルーツ』2022年12月

 おかげさまで、花まる学習会は、今年もオリコン顧客満足度「幼児・小学生・学習教室」において総合一位、進学塾もすべて含むイード・アワード「塾」部門、小学生の部でも、並み居る有名学習塾を抑えて最優秀賞でした。かかわってくださるみなさまのおかげです。ありがとうございました。
 今年は、重症化率は落ちても感染力は相変わらずの、コロナの広がりを横目でにらみながらも、かなり平常に戻ってきた年でした。みなさまはどのような一年でしたか。私にとっては、いくつか大きな発見がありました。
 一つめは、「自己肯定感に焦点を当てることの重要性」。ここ数回、この欄で書いたような教室での子どもの様子や、花まるエレメンタリースクールでの実績により、「無条件の愛で包みこみ、存在を喜び祝福する」ことで、症状名を抱えた子たちすらも、かなり自己コントロールできるものだ、ということを発見しました。これはもちろん、「健常」と呼ばれる子たちにも、当然当てはまる真実で、単純にくっつくことや、「好きだよ」と伝えることの価値も、再認識しました。
 二つめは、「おせっかい・仲立ち役の効用」。あるご夫婦が、一言で表現すれば「夫婦の危機」に陥ったのですが、奥さまのご両親にひとかたならぬご恩があったこともあり、「私が、お二人と話しましょう」となったのです。にらみあった二人。妻の言動の矛盾を指摘し論破して、問題点を整理し明確にしようとする夫。悪気などない。何とか惨事状態から回復させたい、誠意と善意のなせる業です。一方、妻は感情的な攻撃で返す。理vs情。どこまでも噛み合わない主張。序盤は最悪の空気でした。
 それでも、お互いの発言の間に私が割って入って「なるほど、~ということですね」と、合いの手を入れるだけで、少しだけ空気が変わる。ご主人に「では、奥さまに感謝していないということですか」と誘うように問うと、「いえいえ、それはもちろん私が多忙で協力できない期間も長かったのに、ワンオペで子どもたちを育ててくれたことには感謝しています」と、言葉にする夫。一瞬、表情が柔らかくなる妻。そんな行き来がありました。ただし、最後のほうでは再び炎上状態になり、奥さんの取り乱しようを見て、夜電話で「良い精神科医を紹介するので、一度相談してみては?」とまで伝えたのでした。そのときには、失敗したな、と思いこんでいました。
 ところが、数日後にご夫婦が私の目の前に現れたときには、奥さんが夫の背中をポンポンたたきながら、お二人とも笑顔になっていたのです。二人の間に入って話を聞こうというのは、頼まれたのではなく私の提案でした。つまり「おせっかい」です。しかし、おせっかいの仲立ちは、大きな意味と効果があるなと感じました。
 現代は、隣人がどんな人物かもよく知らない、他人の人間関係に余計な口出しをしない「無難」が選択される時代。しかし、やはり人と人は、二人きりでは「通じないなー」と心が遠ざかったりすることがあっても、たった一人、誰かが取りなすだけで、うまく行くこともある。そう痛感しましたし、「実数として三分の一が離婚する時代に、これはビジネスにすらなるかもな」とまで感じました。

 発見した三つめは、「伝統を学ぶことの価値」。コロナ禍の三年間で生み出されたのが「オンライン教室」ですが、メリットもたくさんあり、これまで参加できなかった海外の会員も増えたのです。その海外組の多くが、教材のなかでどれが良いと思うかという質問に、「たんぽぽ」や「四字熟語」と答えたというのです。普段は、思考力教材の草分けである「なぞペー」や「キューブキューブ」を評価する声が多いので、新鮮でした。
 それは、こういうことではないでしょうか。国際人になれとか、世界で活躍できる人材を生み出せという声は、いまも昔もよく聞きます。それに対して、「英語をしっかり学ばせよう」というような判断になることが普通なのですが、実際に海外に出てみれば、「結局、あなたのルーツや伝統は何?」と問われる。そのことを肌身で感じた方々だからこそ、母国語の根っこを感じ学ばせる古典の素読(たんぽぽ)や四字熟語に、価値を感じるということではないのか。
 ちょうど、シグマTECHの国語指導で腕を振るってきた内山朝就がメインの書き手となって、『マンガでわかる!10才までに覚えたい百人一首』(永岡書店)という本を出したのですが、できあがるまでのやり取りのなかで、「あー、やっぱり百人一首っていいなー」と感じたばかりです。すっかりご無沙汰でしたが、親戚の集まりでいとこ同士で遊ぶとなると、トランプや麻雀や囲碁はもちろん、百人一首もやっていました。わが家はいとこたちのなかでは最年少組なので、お兄さんお姉さんに遊んでもらう立場だったのですが、上の句だけ読んで下の句の札を取るという高度な内容に興じるいとこたちに、感動し憧れたことを覚えています。この百人一首体験のおかげか、人吉弁(~したげな、のような古語が生きている)のおかげか、野球部一徹、成績など転げ落ちるように下がっていった高校時代ですが、古文の成績は何もしなくても良かった記憶があります。
 今回、数十年ぶりに百人一首を一覧して感じたのは、大和言葉というのか、この列島に生まれ、長く長く営々と使われていた言葉の、染み入る感覚です。時代を超えて共感できる「人が人を想う感性」「月や花と対峙するいまを愛でる感性」等も含め、心が整う感覚を味わいました。

 9・11で幕を開けた21世紀。たった20年ほどの間に、私たちは、テロも、大震災も、原発事故も、パンデミックも、大国による侵略という戦争も、大洪水などの自然災害も、教科書で習ったようなことを、軒並み経験・目撃しました。経済も「失われた30年」と言われる状態でした。しかし、こういう時代だからこそ、喪失したことやネガティブなことにこだわり嘆くのではなく、「在るもの」に目を向け、感謝して生きていきたいものです。
 まだまだ衣食住も何とかなりますし、スポーツや音楽を楽しめるほどに平和です。そして、私たちには、世界のどこにも負けない伝統があります。震災の直後でも略奪ではなく、並んで配給を受けられるような一つの行動に、深い伝統に裏付けられた文化が根付いていると思います。百人一首に限らず、茶道・俳句・能・柔道・書道・着物などなど、長く生き残っている優れた文化に目を向け、触れて味わい、その奥にある先人からの贈り物ともいえる文化や感性のルーツを確認すること。それは、深いところで心を支えるでしょうし、一人の人間の魅力に直結しているように思います。
 良いお年をお迎えください。
    
花まる学習会代表 高濱正伸