高濱コラム 『まなざし』

『まなざし』2023年10月

 私はインタビュー好きです。その人がどういう経験をしてどう乗り越えたから今があるのかというリアルな人間ドラマが、それぞれにおもしろい。雑誌やネット番組での有名人相手のものは、各分野で上り詰めていくまでの人生(どういう幼児期だったのか、お母さまはどういう人柄だったのか、どんな経験や逆境を経て今があるのか等々)が興味深く、いつも時間が足りないと感じるほどのめり込みます。
 それだけにとどまらず、保護者との面談や子どもたちとの一対一の対話では、子育て家庭のリアルな空気感を知ることができます。たとえばお話しになっているお母さまは、「うちは普通」と思いながら、わが子自慢や悩み・不安を語られるわけですが、そこにはそのお母さま独特の視点や対応も見えるし、「やっぱりみんなそこは共通なんだなー」と感じることも多く、飽きることがありません。私の講演会で「先生は、わが家を覗いていたんですか」という感想を書かれることも多いのですが、それは保護者や子どもたちに、のめり込んで聴き入った時間総量のおかげだと思います。

 さて、聴き取りへの欲求は、最近では社員たちの育ちや本音を聞く「タカタコ」や、花まるの経験を経て、どのような大学生や社会人になったのかを聞く「卒業生インタビュー」など、広がるばかりです。そして、一度きりの人生を各人がどう選択・決断し今に至り何を感じているかのドラマは、やはりおもしろくてたまりません。そして今年は、卒業生に話を聞いたあと、追加でお母さまに来ていただいて、お話を聞くということまで起こりました。
 慶応大学のSFCで、社会起業家を目指すNさんなのですが、聴けば聴くほど謎が深まったのです。彼女にはLD(学習障がい)のなかの、かなり明確な識字障がいがあります。子ども時代には、「普通の文章を読んでいると、こう見えたんです」と、一般人に理解してもらうために描いたゴチャゴチャの線は、説得力がありました。幼少期から中学生の途中までは、授業は基本的に講義の形で進むので、音声言語に集中しIQの高さでカバー(ここはこういうことだなという判断)をして頑張っていたのですが、「ここからここまでは自宅で自分で読んできてください」という課題が増えてから、もういよいよカバーできなくなり、国語は最下位になってしまったそうです。
 私が特に興味を持ったのは、そういう子を持った彼女のお母さまのことを聞くと、「母は全然気にしていないし、おめでたい感じなんです」という意味のことを言ったからです。それはまあ随分大らかな方だなと感じる一方、本当はどうだったのか、お聞きしたくなったのです。そして9月、お話を聞ける日が来ました。そして「やはりそうだったか」と感じました。実は、お母さまは心理学を学んで米国にも行っていたので、識字に問題がありそうなことは小さい頃からわかっていた。あらゆるところに検査や相談にも行った。しかし日本ではディスレクシアという言葉などまだ誰も知らない時代で、LD確定とまではいかなかった。中3のときには検査も進化していて、リスニング7割、リーディング0割、というような明確な検査結果が出て、診断が確定した。特に小さい頃には、テストのたびに学校に呼び出され「ご自宅ではどういう指導をなさっているんですか」という聞き方が、咎められているようで本当につらかった。ただ、親として子どもの前で「あなたのことで苦しい」とは見せてはいけないと思い、「大丈夫だよ」と口にして能天気を装っていた。そして、Nが寝てから夜  中に一人泣いていたんです……。
 心理を学んでいたからこその、プロとも言うべき対応ですが、結果として本人は「母が元気そうだから大丈夫」と思えたのだから、素晴らしい判断だったと言えるでしょう。
 ここで言いたいことはシンプルです。「あなたのことでこんなに悩んでいる」という親の姿は、子の肯定感を棄損します。目が合うたびに「ああかわいいなぁ」というまなざしで見てもらえれば、本当に障がいを抱えていても、芯の自己肯定感を培えるのです。
 
 Nさんの件と並行して、卒業生Tくんのインタビューでも共通する大切なものが見えました。
 
 Tくんは、5歳上の万能の兄と対照的に、何も得意なことがないうえに学業(特に計算系)などでは明らかな遅れがある子でした。しかしおめでたいくらいに明るく前向きなご両親のもとでスクスクと育ち、舞台を創る側として最前線で大活躍しています。そんなTくんは、「遅れが著しい」と評価されていた幼い頃も、壁の穴からのぞくように世界を克明に見つめていて、その記憶を聞くと少々怖いくらいによく覚えています。そして言っていたのは、1年生のときにお母さまが「Tのことを問題と思わず嬉しそうに接してくれるのは、高濱先生と教室長のY先生だけだもんね」と語ったということです。親に加えて外の大人が肯定的に見つめることは、力になることなのだと思います。
 最近はすぐに症状名がついてしまう時代ですが、それはそれとして、親やまわりの大人が忘れてならないのは、まなざしの温かさだと思います。それは「可哀そうだけど大丈夫だよ」というような、配慮する目・憐れむ視線ではなく、ただ「また会えたね!」「かわいいなあ!」「君がいてくれて幸せだよ!」という、存在を祝福するまなざしなのでしょう。

花まる学習会代表 高濱正伸