『散る桜』2025年9月
熊本県の人吉盆地に「ひみつ基地ミュージアム」というものがあると知ったのは、昨年の秋でした。子どもたちの自然遊びとしての秘密基地をイメージされるかもしれませんが、先の大戦で劣勢に追い込まれ米軍による鹿児島・宮崎への本土上陸が予想されたときに、背水の陣を敷く最前線として、文字通りの軍の秘密基地として設営された場所なのでした。幼い頃にそこが空港跡地であることは知っていましたが、大人たちがそれ以上の話をしない独特の雰囲気だったことを記憶しています。戦後生まれの子どもたちには戦争の話はあまりしたくない、という共通認識があったのかもしれません。地元で育ちながらまったく知りませんでした。初耳の方が多いと思いますが、そのミュージアムは丘陵数個分に及ぶ広大な防空壕網の一部に入れるし、劣勢かつ物資不足のなかで飛行訓練をした練習機(最後はその練習機で特攻をしていたそうです)の原寸大モデルもあるし、墜落した飛行機の部品などの資料も充実しているし、何より館長以下スタッフのみなさんの歴史をきちんと残そうという情熱が感じられる素晴らしい施設です。九州旅行の折には一度のぞいてみてください。
散る桜 残る桜も 散る桜
さて、これは、そこにあった特攻隊の方が出征前に書き残した句です。ご存じの方もいると思いますが、もともとは人生のはかなさを表現した良寛和尚の作と言われています。この兵隊が言いたかったのは、「私が命を失うことを、みんな『あまりにも若すぎた』と泣いたり惜しんだりしてくれるだろうけれど、そういうあなたも必ず死ぬんだよ」という長い時間軸で俯瞰したような視点だと感じました。死を恐れまいと自分に言い聞かせた一句でもあるでしょう。
その日から、夏の間中、私の頭のなかでこの句が呼び起こされていました。メメントモリ(死を想え)の言葉を言い換えたようなこの句から思い浮かぶのは、以下の考えです。日常生活のなかでは、つい人生がずっと続く気がしてしまうのが人間だが、明日雷に打たれて、隕石に当たって、逆走車にぶつかって死ぬかもしれない。だからこそ今日を、いまを、感謝して生きねばならない。悔いなき一日にしなければならないし、できれば「幸せだった」と振り返れる一日にしたいものだ。
実は、私は24歳のときに一年間、哲学だけをして過ごした時期(早朝牛乳配達をして、午前中は前日決めたテーマ「生きるべきか」「結婚すべきか」「仕事はやらなければならないのか」等々について一人メモしながら考え抜き、午後には友人の西郡【現在、西郡学習道場代表】が来て考えを戦わせる日々)に、このテーマについては答えが出ていました。それ以来、迷走も回り道も多かったのですが、基本は「今日この日に集中し、手を抜かず最高の一日にしよう」とだけ考えて、ずっと生きてきました。
この夏も、おかげさまで本当に素晴らしい日々を過ごせました。行く先々で、あふれる緑と太陽光のまぶしさのなか、子どもたちに歓迎され、クワガタ体操で大声と弾ける元気と笑顔に触れることができました。そのたびに、大自然のなかで子どもたちと遊ぶことが仕事ってなんて幸せなんだろうと痛感していました。
今年は、いくつかのコースで高校生リーダーに集まってもらって、人生相談の時間も設けました。全員青春らしくちゃんと悩んでいて、進路や恋や自分の性格などについて、たくさんの質問を受け、話し合いました。この年代はこの年代で男女ともにキラキラと綺麗でかわいらしく、なかには泣き出すくらい真剣な子もいて、相談してもらえることに心からありがとうと言いたい気持ちになりました。花まる卒業生でもある大学生たちからも相談をいくつも受けました。この青年期軍団との語らいの時間は、今後増やしていきたいなと感じました。
また、「高濱先生と行く修学旅行」のコースは4日間で40人ほどにフルコミットしてともに過ごすのですが、阿蘇大観峰の雄大な景色のなかで遊んだり、熊本城で合唱したり(今年のテーマソングは嵐の『Happiness』)、夜のタカハマタイムで熱く語り合ったり、1on1で対話したりして、これもまたかけがえのない時間でした。特に、私が泳いで育った球磨川の支流胸川での川遊びには地元の中高生も参加してくれ、陽光の下、水かけ合いに魚捕りにと歓声をあげてのめり込む姿が本当に美しく、「ああ、これが天国だな」と感じました。また数人の親御さんから手紙もいただきました。幼い頃からの子育ての歴史が書き記してあるものや、花まるをつくってくれてありがとうと感謝を伝えてくださるもの……。ありがたくて涙が出ました。
さて、ちょうどこれを書いている前日、特攻隊の生き残りである裏千家十五代家元の千玄室さんが102歳でお亡くなりになりました。亡き戦友の分も生きんとする強烈な意思を抱いて生き抜かれた、残る桜としての、矍鑠としてきらめく一生であったとお見受けします。
一直線にハッキリと形もあり存在を信じられるけれど、やがて必ず消える飛行機雲。人間の一生もどこか似ています。私も、まだまだサマースクール準備として日々7~10㎞くらいは走れる元気が残っていますが、そろそろ散る桜になるリアリティもイメージできてきたこの頃です。まあしかし、いつまでとかなんとか誰にもわからない先のことを心配したり考えたりせず、今日一日を感謝して真剣に生き抜くことに専心して生きていきたいと思います。
花まる学習会代表 高濱正伸