Rinコラム 『じかんがきたら、おしまい』

『じかんがきたら、おしまい』2020年9月

 子どもたちが夢中になって遊んでいるとします。もう次の予定が迫っています。「はい、もう遊ぶのおわり!行くよ!」と言ってみても、気持ちがなかなか切り替えられない……。こんなことって、よくありますよね。時間の感覚が大人と違い、未来を見通す力がまだ備わっていない幼児期の子どもたちにとって、突然の「おしまい!」は青天の霹靂なのです。

 没頭している「遊び」は彼らにとって、大きな「学び」。ゾーンに入っていく快感、やり切ったときの達成感は、深い没頭の先にあるものです。それを、大人の勝手な都合で止めさせたくない。だからこそ、子どもたちが何かを始める前に「3.じかんがきたら、おしまいです※」と伝えるのです。「人生は有限です。最初からベストを尽くそうと自分で決めて始めてください。そうすると頭と心を切り替えられる人になります」と。

 片づけることや、スケジュールを優先して動くことだけにこだわって声かけをしていると、子どもたちはいつでも途中で何かを遮られ、納得いくまで遊びきる体験を知らないままです。何かを達成できずに、途中でやめる経験ばかりが身についていく。「いったんひとくぎり」と、自分の力で切り替えられる経験にはならないでしょう。

 いつでもどこでも創作活動にいそしんでいた幼児期の私は、ピアノ教室に行くのに、楽譜は忘れてクレヨンと画用紙がなぜか鞄の中に入っているという子でした。母はピアノを早々に辞めさせ、リビングの片隅に、私が作りかけの何か(お菓子の空き箱や絵の具)が出しっぱなしでも大丈夫なスペースを作ってくれました。
 それは、ただ床にピクニックシートを敷いただけの簡単なものでしたが、私はそれで、「途中で手を止めても、後でまた続きができる」ことで安心して「遊びをやめる」ことができたのだと思います。

 過集中の私に配慮してか、「あとどのくらいで~に行く時間だよ」と、事前に説明をしてくれる母ではありましたが、いま考えるとあの工夫は、「片付けをさせなきゃ」というオトナ側のこころも楽になるうえ、子どもにとっても「やり切っていないのにリセットしなくてもよい」ことで気持ちの切り替えがしやすくなる一石二鳥のやり方だったのだな、と想像できます。
 
 それに何より、自分が大切にしていることを尊重してもらえているという事実が、その後の私の支えになりました。結果として、没頭体験も奪われなかったと感謝しています。

 人生、意味あることだけをしたい、というような感性は、本気で没頭した経験のうえに湧き上がってくるものです。最初から、最後を見据えて、意味ある時間になるように人生をデザインしていく。子どもたちが、誰のものでもない自分の人生を自分で決めていく人であれますように。

 
井岡 由実(Rin)