Rinコラム 『作品に宿るものを受け取る力――鑑賞会の本質とは』

『作品に宿るものを受け取る力――鑑賞会の本質とは』2026年1月

 物心ついた頃から、創作していた。あまり喋らない子どもだった私は、言葉の代わりに、世界へ何かを表明する手段として創作を選んだ。創作することは、生きることと同義だった。それはいまでも変わらない。

 子どもたちと過ごしていると、ひらがなを書けるようになった途端に「おてがみ」を書いて、まるで宝物のように手渡してくれることに気づく。
 「ありがとう」と「だいすき」であふれる、手紙という贈り物。
 自分の思いを伝える道具としての文字を初めて手に入れた子どもたちの喜びが宿った、踊るような文字たち。伝えたい気持ちがあること自体が、生きている証なのだろう。
 その言葉を誰かに贈りたいと思う衝動は、道ばたで見つけた花を「見て」と差し出す心と同じ。人間の根源的な欲求であり、生きていることの表明。手紙という贈り物は、たとえ同じ文章であっても唯一無二になる。手書きの文字から放たれる、言葉そのものを超えた「何か」が、受け取る人へ語りかけるからだ。

 切手を貼った作品に旅をさせ、世界中のアーティストとやりとりする「メールアートプロジェクト」を始めたのは2009年。送られてきた作品から、作者の想いやイメージを受け取り、そこから湧いてくるインスピレーションを頼りに、次の作品を生み出していく。
 近年は子どもたちとも年に一度、授業として取り組むようになりました。贈りたい誰かへ想いを込め、どうやって驚かそうかと工夫し、相手の好きなものを想像しながら生み出す作品群。「誰かを喜ばせたい」という根源的欲求に基づいた作品は、その人をその人たらしめる何かを宿していると改めて気づかされます。互いにそれを受け取り合うことは、実はAtelier for KIDsでの鑑賞会で行っていることの本質と同じです。

 25年以上も前、花まる学習会がまだ小さな寺子屋のような学習塾だった頃。資料を送付する際には、一人ひとりに直筆で手紙を添えていました。文字に込めた情報を相手が受け取ってくれるはずだと、どこかで信じていたのでしょう。
 当時、こころを診るとは何かをご指導くださった児童精神科医・故稲垣孝先生とのやりとりも、いつもFAXか手紙でした。手書き文字の時代を生きた人々は、大なり小なり、文字から受け取れる情報を大切にしていたのでしょう。

 手紙には、封筒、便箋、切手、筆跡、筆致の強弱といった「もの」としての豊かな情報があって、書き手が意図した以上のものが、否応なく伝わってきます。
 これらの情報は、ネット上のテキストでは抜け落ちてしまう。SNSで感情的な衝突が起きやすい背景には、こうした周辺情報の欠如があるのかもしれません。

 子どもたちが、鑑賞を通して作品に込められた他者の想いやイメージ、豊かな情報を受け取り、その作品、ひいては作者の良いなと思うところを見つけ出し、ことばにして伝え合うことができますように。
 いまを生きる私たちが、誰かに“自分の作品”を贈りたい気持ちになれたなら、世界は少し優しく変わるかもしれない、と思うのです。

  井岡 由実(Rin)