花まる教室長コラム 『私の土台になっているもの』中村紗季

『私の土台になっているもの』2021年3月

 ご家庭で決めている “わが家の掟” はありますか?「“わが家の掟?”そんなものないなあ」とお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、ほとんどのご家庭で、何気なく大事にされている、基準としていることがあるのではないかと感じています。

 実家に帰り、久々に母とふたりで食事に出かけたときのこと。そういえばわが家はどうだったのだろう…と思い、母にたずねてみました。
 「そんなのあったかな~」と言いつつ、母の口からは「そういえば…」と、次から次へと出てきました。時間をしっかりと守ること、朝起きる時間を決めること、休みの日もその時間に起きること、食べ物を大切にすること、食事に対して文句を言わないこと、忘れ物は自己責任で何とかすること…。そのほかにも、いくつか言っていた気がしますが、残念ながら覚えていません(ごめんよ、お母さん)。

 幼少期の頃の記憶があまりない私ですが、ある二つの出来事だけは、いまでも鮮明に思い出すことができます。
 1つ目は、出来事というより長く続いた苦い記憶です。それは、忘れ物。子どもの頃、忘れ物の常習犯だった私。小学校低学年までは何とか許されていたことも、高学年になると厳しく叱られるようになります。「放課後、家に帰ってとって来なさい」と言われたこともありました。急いで家に帰ると、机の上にしっかりと置かれているノート。何を隠そう、忘れられた私の宿題です。家にいる母に「学校まで乗せてってくれない?」とお願いするも連れて行ってくれる母ではありません。歩いて三十分の道のりを、「なんで乗せてってくれないんだよ!」と思いながら、せっせと歩いたのを思い出します。忘れ物は自分で何とかするしかないということを、身をもって感じる時間でした。
 「それからすぐに忘れ物がなくなりました!」ということはありませんでしたが、私は忘れ物をしやすい人なんだということを自分自身で意識し、メモをする、アラームをかけるなど、忘れないための策を考えられるようになりました。その結果、忘れ物の回数は徐々に減っていきました。

 二つ目は、いまでも家族で集まると、話題となる出来事。小学生の頃、休みの日になると、家の前で兄とキャッチボールをするのが習慣でした。あるとき夢中になるがあまり、ボールが塀を越えてしまい、隣の家の庭へ。家の方へ声をかけ、ボールを探すも、ボールはなかなか見つかりません。ほかのボールはないだろうかと探していたとき、兄妹の目にとまったのは、わが家の軒下に干してある大量のたまねぎでした。球体を探している私たちにとっては、絶好のものを見つけたという感覚だったでしょう。「あ、これボールのかわりになる!」「見つけたの天才!」と、喜んで手に取って、すばやく皮をむいたことを覚えています。食べ物をボールがわりにするなんて、いまとなっては耳を疑うほどに恥ずかしいことですが、丸い=ボールくらいの幼い考え。当時の私たち兄妹にとっては、正解に感じたのだろうと思います。
 キャッチボールならぬキャッチたまねぎは、案外普通にできました。しばらくは続きましたが、「食べ物を使ってなんてことをしているんだ!」と父の一喝で、終わりを迎えました。父に叱られるは、グローブはたまねぎ臭くなるは、それ以降、たまねぎを使ってキャッチボールをしようなんてことを考えたことはもちろんありません。

 そんなくだらない話をしていたときに、母がふとこんなことを言い出しました。「ギャンギャン怒ってばかりで、あんたたちには悪いことをした。」
 私の父は、単身赴任で家を不在にすることが多かったのですが、父不在での祖母との同居に、母には余裕がなかったのでしょう。そして、父がいない分、「私がきちんとしなければいけない」という思いも、母の中にはあったのだと思います。ときには感情的に怒られたことがあったのかもしれませんが、寝れば忘れるのが子どもなのでしょう。覚えていません。

 わが子が大人になっても、子どもの頃の子育てを反省する母を見て、「そんなこと、ずっと思っていたの?」と驚くと同時に、いつまでも悩み続けるのが母なのだなあと思いました。
 当たり前のことを当たり前のこととして、伝え続けてくれた母。当時の私の思いは、そのときの私しか知らないことではありますが、私の将来を思い、一歩引いて、基準を示し続けてくれたことに、感謝しています。ときに、いつまでも変わらず、成長が見えにくい私を見てイライラすることもあったと思いますが、子ども時代に伝えられてきたものは、いまでも私の中にしっかりと刻まれ、残っています。わが家の掟がいまの私の土台を作り、いまの自分の支えとなっていることを、折に触れて感じます。

 「私の子育て、間違っていたのでは」と、母はこれからも思うことがあるかもしれませんが、そう思うほど考え続けていてくれたことが、すべてだなと。照れくさくて、いまはそんなことを言葉にできる私ではありませんが、いつか伝えられたら。そう思っています。

花まる学習会 中村紗季