高濱コラム 2003年 4月号

光陰矢のごとし。寒風を耐え忍ぶ冬芽の強い存在感に見とれていたら、いつのまにか桜の季節が訪れていました。別れと出会いの春は、教育上大きなチャンスの時でもあります。

長い間、子育ての悩み、しつけの悩みなどを聞いていると、「宿題を毎日決まった時間にやる」とか、「ためてやらない」とか、「一つ決まったお手伝いを毎日やる」というような、日々の習慣づけに失敗して、どうしたらよいか困っているという相談は多いものです。

学級の運営と同じで、このようなことの問題点は、必ず「最初」に行き着きます。最初が一番大事。小学生になったらこういうことは当たり前のことなんだ、という認識を最初に適切に与えられれば、何の苦も不満もなく「宿題は忘れない」し「定刻には(10分でよいから)学習する時間を持つ」ことができます。そのような子は大勢います。

ところが、最初の明確な指導がなかったり、どこか一箇所でも甘やかして許してしまったり、ただの言い逃れや屁理屈をピシャリと制して言い聞かせることに失敗してしまったりすると、既得権の領域が広がっていきます。気づいたら「言っても聞かないんですよお」と嘆くばかりで、将来の暗い子どもにしてしまっている。私は、このような親御さんを、保護者ではなく過保護者と呼んでいます。

「ためぐせ」を放置するとどうなるか。中学生になって、中間テストや期末テストの前だけの一夜漬けでその場をしのごうとする、ごまかし勉強をする子になります。義務教育内容は簡単ですから、まだそれでもこなせてしまうことが落とし穴で、高校段階になると、全く太刀打ちできない学力不振状態に陥り、そこで初めて自分は遠く置き去りにされてしまっていることに気づきます。これは実は私自身の経歴そのものでもあるのですが、私の場合、開き直って部活命で野球に打ち込みましたが、結局逃げたら逃げた分つけは返ってくるだけ。膨大な学習の借金を長い浪人生活で払わされる羽目になりました。

さて、そんな悪い状態になっている家庭に、今まで最も効果があったアドバイスは、年度変わりをチャンスにする方法です。子どもにとって1年生と2年生では、全然違うものです。2年生の子にうっかり「1年生?」などと聞こうものなら「2年だよっ!」ときつい反応が返ってくるくらい学年が一つ上がることにはプライドがあります。その誇りをくすぐるのです。片手間では効果はありません。わざわざ呼んで、1対1または両親対その子一人で、「今日は大事な話がある」と告げます。そして、「今日から君は2年生だね。もう1年生ではないのだから、一つだけ守ってほしいことがある。宿題は絶対に忘れないということだ」と言い聞かせるのです。冗談で場を崩そうとか、気をそらそうとする行動には一切動じず、真顔を絶対に崩さないということもポイントです。必ず「うん」と言いますから、それから後は一日たりとも、約束破りを許さないことです。

障害児指導で大きな成果を上げている民間の教室の指導者の話を聞く機会がありました。つい可愛そうだと思って、「個性を認めましょう」とか「可愛がってあげてください」などと口当たりの良いアドバイスをする人も多いが、うちの方針は「我慢を教えること」「自己コントロールを教えること」だ、というものです。情に流されず、真にその子の将来を思った指導姿勢だと感銘を受けました。教育上肝心な視点は健常児も同じでしょう。
お子様へのしつけの面で心当たりがおありなら、上記の真顔面談法に、この春挑戦してみてはいかがでしょうか。意識改革の絶好の機会です。

花まる学習会代表 高濱正伸