高濱コラム 2003年 5月号

新学年の出発のとき。保護者の皆様の感慨もひとしおではないでしょうか。「学校楽しい!」と明るく通い続けてくれればいいのですが、6年間の在籍期間には山もあれば谷もあるものです。問題は起こる。大事なのはそのときの親の態度だと覚悟していれば、日々の小さな幸せを満喫できるというものでしょう。幸い多き新学年であることを祈ります。

さて、長年悩み相談を受けていると、病気における「自己治癒力」ではないですが、子どもたちは本来、いじめにしろコンプレックスにしろ、たいていの壁を突破できる内在的な力を持っていると信じられるのですが、むしろ保護者の方に問題が多いと感じるケースもたくさん見てきました。

例えば「私、悪い母親なんです」とおっしゃる方がいます。一見、反省の気持ちを表しているようですが、根本的問題を感じます。というのは、子どもへの思いではなく「評価される自分」に視点が行ってしまっているからです。自分の学歴コンプレックスの裏返しで、子どもの実態を直視もせずに受験に煽り立てるようなお母さんに、しばしば見られます。そもそも悪いも良いも、最終的には自分の直観を基準に判断するしかないのに、どこかに「正しい母親マニュアル」があるかのような見方が感じられることも心配です。

「本当に子どもの将来のためになるか」ということのみ考えていればいいと思います。

愛する我が子が悲しむのを見るのはいやなものですが、「将来のため」を見つめていれば、泣き顔への同情で毅然たる態度がゆるむこともなく、冷静に厳しく叱れます。色々と買い与えてあげたいのが人情ですが、「将来のため」を思えば、「みんな持ってるのに」だの「買ってくれればちゃんと勉強するから」といった甘えに負けることなく、パンとはねつけ「うちは買わないものは買わない」と言い切ることもできるでしょう。

大人と子どもはカエルとオタマジャクシくらい違うという比喩はよく使うのですが、「将来を見通す力」こそは、大人の大人たる特徴です。子ども基準での駄々にゆらぐことなく、家庭の教育方針を明確にして、自信を持って指導してほしいと思います。

私自身は、子供たちの将来の目標にしてほしいことは二つあるよとよく言います。一つは「メシを食える人」。世の中は学歴など飾りにすぎない実力主義に、すでになっています。大切なことは社会に出てから活力を持って生き抜いていくこと。そうだとして、一人前である最低基準は「自立して自分の力で生計を立て税金を払う」ということでしょうし、そこが到達されていれば、(親の期待する職業でない場合もあるでしょうが)誰に後ろ指を差されることもなく、胸を張って生きていっていいということです。

もう一つは「もてる人」。自立を獲得した後に、人が求めることは「幸せかどうか」ということです。学歴からブランドの職業まで取り揃えながら不幸せな人をたくさん見ていますし、そんなものなくても幸福のオーラに包まれている人も何人も見ています。その違いをよく観察すると、地位や名誉ではなく「身の回りの人たちに信頼されているかどうか」が、大きなカギだと分かります。「もてる」という言葉で表現したのは、異性はもちろん、同性からも信頼され、友達になりたいと願ってもらえ、この人と一緒に仕事をしたいと思ってもらえる状態です。
そんな目標を明確に持つと、「挨拶」「掃除」「はきはきと話す」「嘘をつかない」「時間を守る」「相手の立場への思いやり」など今ゆるがせにできない基準にも確信が持てますし、言うべきこともはっきりと言えるようになるものです。

花まる学習会代表 高濱正伸