高濱コラム 2003年 8月号

4歳の息子が幼稚園に入れてもらえたは良いけれど、次から次に新しい風邪をもらってきます。洗礼とはこのことで、菌をもらって免疫力を高める成長途上の必然ですが、咳がひどくなり、とうとう入院になりました。4人部屋で付き添いをしていたときのことです。向かいの3歳の男の子に、お母さんが薬を飲ませようとして、苦戦しています。「苦いんだもん」の一点張りで、泣いて叫んで反抗するのです。

「いい子だから飲もうね」と甘く出たら、「いやだ」と強く拒まれ、「飲まなきゃ治らないのよ」と理屈で説得しようとして跳ね返され、「じゃあ、看護婦さん呼んでチックンしてもらうよ」と脅しても屈せず、「もう!頼むから飲んでよ。ね。」と泣き落としにかかっても拒絶姿勢は微動だにしない。いや大変だなあと同情しながら聞いていましたが、母の愛は深く、30分ほどの粘り強い闘いの末に、とうとう飲ませきりました。

どうしてこのお母さんが頑張りぬけたかと言えば、「薬を飲まなければ、我が子の病気は治らない」と信じているからでしょう。子が「苦い」と言ったからといって、命にかかわる薬を飲まないことを、許す親はいません。しかし、子どもの将来に必要と分かっていても、逃避を許してしまい、結局駄目にしてしまうことがあります。

例えば漢字。この国で育って生きていくときに、先走った英語学習などより、漢字は何倍も大事です。一字の誤字は、実際以上に知的にとても劣った印象を与えますから、知識の完全さが求められます。ラブレターから上司への報告書、お客様向けの文章まで、ぜひとも間違いなく書いてほしい。算数の文章題理解や、先々の外国語の本格的学習の礎としても重要です。

ところが、漢字には退屈な日々の反復練習が不可欠です。そして反復練習は、多くの場合、子どもに嫌われる「苦い」ものです。「分かってるのに」「読めるのに」「面倒くさい」と、甘ったれた反発をします。しかし、何としてもやらせなければなりません。その子の社会的活躍を願うならば、絶対に必要なことだからです。恥をかかせたくないからです。一字の誤りで、チャンスを失うことのないようにさせたいからです。

漢字の楽しさを満喫するように、親子三代で検定に挑戦するご家族もいらっしゃる一方、「習ってない」の一言に屈してしまう方もいますが、現在の公教育の「許し」の水準を標準だと思っていると、痛い目に合うのは子ども自身です。「習ってなくて知らないからこそ、今練習して覚えようね」と一歩も引かないでいただきたい。また、「覚えるまでの練習は、確かにちょっとつらいのは分かるけど、漢字の勉強はすごくすごく大事なんだよ」と繰り返し言い聞かせていただきたいと思います。

今回の花まる漢字検定は、一年生には少し大変だったでしょう。しかし、表彰式を見て二学期は、確実に変わってきます。三学期には大半の子が合格するようになります。さらに、昨年度驚いたのは、年度末の「花まるの思い出作文」で、サマースクールと同じくらい、「漢字検定が面白かった」という感想をもらったことです。真剣だからこその達成の喜びを感じてくれたのでしょう。

苦くても飲ませなければならないときがあります。子どもたちは必ずいつか、あのときやらせてくれてありがとうと、大人たちの基準の強靭さに、感謝してくれると信じます。共にスクラムを組んでいただければ幸いです。

花まる学習会代表 高濱正伸