高濱コラム 2003年 9月号

たまたま読んでいた本に、こんな一節がありました。「あなたは腕立て伏せを何回できるだろうか。10回だったとして、何もしなければ一ヶ月後にもやっぱり10回だが、毎日かかさず継続すれば、一ヶ月後には誰でも30回を楽々こなせるようになるであろう。人間は、そのような(継続すればどんどん伸びる)力を授かっている」

なるほどと思い、5月から腹筋を始めました。若い時代と違うのだから、出っ腹を引っ込めねば、延べ17日間にも及ぶサマースクールで、子どもたちの安全を守るフットワークが確保できないと感じたからです。目標が明確なおかげか、20代の頃すらやれなかった回数をこなせるようになったのですが、本番を終えた今では元の木阿弥で、子どもたちに「何ヶ月?」と揶揄される妊婦状態に戻ってしまいました。

継続は力なりという言葉は誰でも知っているし、日々の努力が大切なことは重々承知していても、「毎日」ということは、大半の人にとって大きな壁のようです。観察するに、これを突破できるのは、「必然」がある場合と、強い意志で「良き習慣」に持ち込んだ場合だけのようです。前者は、例えば、アフリカのマラソン選手が、小さい頃から10km以上の山道を毎日走って通学していたというような場合や、英語圏で育ったから英語がしゃべれるようになったという場合。後者は、幼い頃の苦労をバネに、功なり名を遂げた人物伝などに、しばしば見かけるテーマで、早朝の起床や運動、必要とあれば即行動する(明日に延ばさない)機敏さなどを、自らの行動習慣にしたという場合です。

毎日20km以上も走っていれば、長距離が早いのは当たり前でしょう。しかし、運動コンプレックスの子にその劣等感を克服させるのにマラソンが向いているといっても、毎日ということは困難のようです。ためになると分かってはいても必然性が弱いからです。漢字や計算は「毎日」こそが大事だと分かっていても、本当に「習慣」にできている家庭は少数派です。子どもの問題というよりは、そもそも親自身が「継続は力」の実体験を今まで持ったことがないという場合もあるかもしれません。

実際、お母様からの悩み相談で、「どうしても、宿題をためてやってしまうんです」という声が絶えたことはありません。みんな同じことで悩んでいます。しかし、やっぱりあきらめてはいけない。本当に子どもの将来を思えば、良い生活習慣をつけ、「毎日の努力(1年生ならば一日10分でいいから)の習慣」をつけさせてあげることは、大切なことです。相談しながら、共にがんばりましょう。

付け加えると、我が子の日々の継続がうまくいかないことなどで、母親が感情的になってしまうことが、完全なる逆効果であることは論を待ちませんが、長年の経験上、そのいら立ち加減の程度は、「お母さんの心を、たった一人でもいいから、しっかり受け止めてくれる人」がいるかどうかにかかっていると思います。

お母さんが赤ちゃんだった頃から知っている近所のおばさんがいるような「地域」が崩壊してしまった今、構えたり飾ったりせずに自分をさらけ出せる相手がいないために、心を病んでしまう(どちらかと言うときまじめな)お母さんもいます。核家族が基本単位のこの時代にあって、「夫の協力の姿勢、傾聴し受け止めてくれる誠意」というものが、重みを増しているなと感じています。

花まる学習会代表 高濱正伸