高濱コラム 2004年 1月号


血気盛んで、糸の切れたアドバルーンのような勝手気ままな生活を都内で送っていた20代のこと。熊本の天草という島に母方の実家があって、5・6年行ってなかったことがふと気になり、喜ばせてやろうと突然訪れたことがあります。すると、祖父が寝込んでいました。祖母によると、その朝友人の家に行こうと出かけたら気持ち悪くなったと戻ってきたのだそうです。「肩をだしちゃいかん」と幼児期にしてもらったように、布団をかけてあげたその日、祖父は亡くなりました。孫世代では唯一病院でなくその家で生まれたということもあって、叔父伯母親類は「正伸だけ呼ばれたんだねえ」と言っていたそうです。

オカルト的なものは信じないのですが、何か見えない力ってあるのかもなあと思ったエピソードです。何故この話を持ち出したかというと、今年実は、一歩間違えば花まるも家族も吹っ飛んでいたかもしれない事件をかいくぐったからです。創立以来資本関係のある会社から、数年の交渉を経て株式を全て買い取ったのですが、その数ヶ月後向こう側が私も知らなかった多額の税金滞納で、国税当局による差し押さえを受けたのです。時間が前後していたら、こちらはひとたまりもなく社会から消えてしまうところでした。偶然なのでしょう。しかし、どこかで見えない大きな力に守られているとしか考えられないという気がしたのも事実です。

そんな中、高校大学の後輩で、4年前に同窓会の中の新しいサークルを共に立ち上げた大学生が、「『生まれること』・『生きること』・『死ぬこと』について」という文章を書いて見せてくれました。一言で言えば、祖先を思うことがテーマです。人はクローンをも含めて全員厳密に二人の父母がいる。その父母にも二人の両親がいる。どんどん遡ると、天文学的な数の祖先の、今の自分と変わりない生活がある。そのうちたった一人でも欠けては今のこの私は存在しない。歴史を学ぶ個人レベルでの意義は、そのような祖先の因果で偶然に生まれ、生きているということを知ることにあるのではないか…。後生おそるべしと言いますが、文章の中身も濃く、まさに若者に教えられました。

一方で、ある幼稚園の講演会に招かれたのですが、終了後の懇親の場で、一人の「旧家の嫁」だというお母さんのお話に唸らされました。その家は、お祖母ちゃんが指導力を発揮していて、子どもたちは朝から仏壇にチーンとお参りしないと外に出て行けないそうです。まずは型からということでしょうが、薄っぺらな「心の教育」にはるかに勝る、重要な伝授がここにあるなと感じました。

人は皆、血を分けた兄弟姉妹とのみ共有する、世界でただ一つのご先祖マップを背負っています。それは家の名など関係なく厳然たるものです。そのことに思いを馳せれば、宗教宗派に関係なく、今こうしてあることに感謝し、子孫のためにもくだらないことはしたくない気持ちになるのではないでしょうか。

一年が暮れようとしています。大人たちはまた一つ年をとり、子どもたちは社会の中核で働く時に一年近づきます。私を守ってくれたものがご先祖さまだと言い張りたい訳ではありませんし、冷静に見て単に運がよかったのだと思います。しかし、もしも生き延びることを何者かに許されたのだとしたら、真に子どもの将来の力になるようにもっと役割を果たせというメッセージなのだと受け止めたいと思います。 

ご家族にとって、来年が、健やかで喜び多い一年になりますように。

花まる学習会代表 高濱正伸