高濱コラム 2004年 3月号

「例えば健康診断でがんが見つかると必死になって治療を受けるが、尿や血液に多少の異常値があってもそのまま放ってしまう人は多い。生活習慣病こそ、すぐに手を打ってほしい」これはつい先日、新聞で見つけた「生活習慣病」の特集記事にあった、ある医師の言葉です。運動不足、栄養の偏り、内臓脂肪など、「いけないなあ」と思いつつ、日々の忙しさにまぎれて、手を打たずに過ごしてしまう恐さを教えています。

お腹の脂肪をつまんで「凡人の限界ここにあり」とつぶやきつつ、やはり子どもたちの将来のために、あきらめるのでなく言わなければなと思うことがあります。色々な生活習慣の問題で、中でも特に「ゲームの習慣」です。このことの危険については、社会に戻れなくなってしまった青年たちとの接触を通じた「現場の声」として、私は講演会等で長年指摘してきましたが、ここ1・2年で、様々な医師・学者の方々が、脳の萎縮や言語の遅れ、表情の乏しさの問題など、それを検証するデータを公表し始めました。自動車業界がむしろ率先して環境問題に取り組んできたように、ソニーのようなリーダー企業の中からこそ、「子どもの脳への悪影響への対策」「長時間使用への歯止め策」「子どもへの販売規制」等の基準作りの声が上がるのは、時間の問題であろうと思われます。

ゲームのやり過ぎが真の意味での「病気」をもたらすとしたら、家族の悪い生活習慣の多くが「学力不振」をもたらします。「くにゃくにゃした姿勢の見逃し」「箸や鉛筆の悪い持ち方の見逃し」から始まり、「張りのある声が出ない」「人の目を見て話さない」「分からない言葉があっても調べない」「テストなどはやりっぱなしの割りには成績ばかり気にする」「何ができなかった原因か吟味しない」「分からなくても悔しくない」「宿題をためてやる」など、様々な生活態度が習慣化すると、間違いなく子ども自身が将来苦しみます。

では、子どもの学力に焦点を当てて考えたときに、よい生活習慣とは何かというと、たくさんありますが、一番大切なことに絞るとすれば、やはり「言葉に厳しい家族文化・習慣」をあげたいと思います。「ケンケンガクガクって何だよ。カンカンガクガク(侃々諤々)かケンケンゴーゴー(喧々囂々)のどちらかでしょう」「すいませんじゃなくてすみませんだよね」というように、一見神経質に見えるほどに、間違ったその場で即指摘しあう。できている家族は、ごくごく自然にそうしています。

一つの単語もおろそかにしない基本態度が身についた人は、「問題文」を読むときの集中力があります。それは「精読力」そのもので、いわゆる文章題全般によい効果がありますから、国語はもちろん、算数や理科・社会など科目を問わず好影響があります。なぜなら、文章題でない難問は存在しないからです。

古い映画などを見ると、同じ国かなと思うほど、昔の人たちが美しい言葉遣いをしていることに驚くことがあります。幼い頃からの英語学習も盛んですが、まずは母国語が正確で力あるものでなければなりません。将来の子どもたちの力になってくれるように、正しい日本語・美しい日本語にこだわりをもった家庭文化を築きたいものです。

花まる学習会代表 高濱正伸