高濱コラム 2004年 4月号

年末に夫婦喧嘩をしました。きっかけは些細なことで、例のクリスマスイルミネーションを、私がやると言いながらなかなか始動しないので、隣のご主人が屋根周り(ここはさすがに届かないので彼の部下の職人に頼むのです)の飾りつけをやってくれたついでに、前面も「やっといたから」と言われたことです。妻は半分あきれながら半分は応援のつもりだったのでしょう。しかし、普段はまず感情的になどならない私が、「プラモデルを、『あんたがなかなかやらないから、私が途中まで作っといたよ』と言われて、喜ぶ男の子がどこにいるんだ!」と激昂してしまいました。

この件であることを思い出しました。4年生のときに、男女を問わずリリアンなる編みヒモ器が流行したことがあって、みんなは縄跳びの取っ手のようなその商品の色などを比べあっていたのですが、私は小遣いをあまりもらえないということもあったのか、「そんなの作れるじゃないか。」とノリのふたに穴を空け釘を5本刺した手作りリリアンで、何ら遜色ないヒモを編んで好きな女の子にほめられたのでした。

森の中の樹上・防空壕の中・押入れの中などあらゆるところに基地を作っていたことを始め、とにかく「作る」ことは遊びの中心でした。ニキーチンによれば、とりかかった遊びを「やりきる」ことが創造性を伸ばすポイントだと書いていますが、確かに「作る」ことが大好きで、最初から最後まで「自分でやりきる」のでないと、満足しない子どもでした。商品というのはどんなに欲しくても手に入った瞬間にわびしさがあるのに、その場その場で思いつくことはワクワクするなと、強く感じていました。

さて、その喧嘩をきっかけに考えていくうちに、長年追いつづけてきた「人間の魅力論」に一つの決着がついたという霊感を得ました。すなわち「人が魅力的である」最大の要件は「創造性」だということです。例えば、5・6歳の頃に「迷路を自分で作ってしまうんです」とお母さんが言っていた子の6年後・9年後の進学実績はかなり高いものがある(かと言って、強制しないようにしてください)ように、知能という点でも、「つくること」が大好きな子は、将来有望だと言えるでしょう。しかし、もっと広く社会人になってから、魅力的であるということを突き詰めていっても、やはり創造性こそが大黒柱であるという確信を得ました。

言われたことだけでなく、自分なりの視点を持って企画や提案をできる人は重視されます。笑いに溢れた人は好かれますが、笑いの本質は常識の枠をはずす創造行為に他なりません。鬼ごっこやおままごとなどのごっこ遊びにおける想像性の大切さはよく言われますが、想像そのものが、「頭の中に今までなかったイメージを創造すること」で、それはいわゆる「ひらめき・アイデア・問題意識」なども同様です。未来を感じさせる人は創造的で、挑戦は創造的。だから素敵に見えるのでしょう。人を思いやる他者性も、相手の身になりきるイマジネーションがなければ育ちません。

つくることを喜んでいるお子様がいたら、祝福してあげてください。

花まる学習会代表 高濱正伸