高濱コラム 2004年10月号

陰山式が評判になったとき、「こんなこと、昔の小学校では当たり前だったことばかりではないか。古典の素読にしろ、百ます的な計算訓練にしろ、花まるではとっくの昔からやってるし、塾では標準にすぎない。公立学校で同じことをやると、ニュースなんだなあ」と、やや皮肉な見方をしたものです。しかし、彼個人には敬意を払っています。私は公教育に早々に見切りをつけて、塾という在野で勝負しようと志したのですが、むしろ中に入っていって、最大の壁である教員組織や行政を上手に味方にする方法で、今の制度下での具体的な改革方法を提示し実践したという点で、大変な貢献であると思います。その陰山氏が、注目すべき意見を書いていました。

ゆとり教育のせいで学力低下になったと言うが、ポイントがずれている。走るタイムが落ちてきていることに象徴されるような、体力・気力の低下、つまり生命力の低下ことが本当の問題点であり、学力低下はその一側面に過ぎない。低下の分水嶺は、昭和60年ごろに遡る。それは、テレビゲームが爆発的に浸透し、輸入品の安いテレビがどんどん売れていった時期であり、子どもたちがひ弱になっていった決定的な原因は、テレビやゲームの普及にこそある。

読み方によっては、巧妙に学校の責任を回避しているととれなくもありませんが、的は射ています。テレビやゲームや現在ではインターネットや携帯電話などの「文明の利器」の普及は、駈けずり回って遊ぶという貴重な経験の時間数を食いつぶし、「別に」という言葉に代表される覇気のない、表情の乏しい若者を量産したのでしょう。

外遊びの少なかった子ども、へっとへとになるまで遊び尽くすことのなかった子どもは、遊び下手の大人となって、もはや親世代の問題として露呈してきています。Saliという不登校を中心としたこころの相談室を作って2年。症状は様々ながら、主として思春期に子どもの問題が勃発した家庭の父親から、「子どもとどう遊んでいいのか分からなかった」「自分自身があまり遊んで育っていない」という訴えを多く聞くことが分かったのです。

一方で、活力ある子どものお父さんは、遊びに夢中になれる父さんです。夏休みに、算数オリンピック数理教室主催で開催した「しのばず探偵団」という企画には、大勢の保護者が参加してくれました。数葉の写真から謎の場所の所在地を推理して、親子で捜索するという一種のウオークラリー。最初は母さんにせっつかれて参加したという表情だったお父さんも多かったのですが、一回戦が終わる頃から俄然表情が変わってきて、三回戦目のスタートの合図では、掛け値なしの全力疾走で駆け出す父さん続出でした。この「遊びに、目の色変えてむきになる父さん」こそ、ぜひ子どもに見せたい、伝えたい、この企画の狙いでした。

花まるは、子どもを健やかに元気に育てるために、目下、「親自身の遊び」「親子の遊び」に注目しています。親子遊びをライフワークにしたいという青年の入社により、大きな骨格ができてきました。それは、ともに走り回ることから始まると思います。次々に企画を提案していきますので、ぜひご参加ください。一緒に走りましょう。

花まる学習会代表 高濱正伸