高濱コラム 2008年 1月号

個別対応が必要な特別の課題がある子たちへの対応を、ケース検討として考える会議でのことです。一人の新人講師が、1年生の少年のケースを報告しました。曰く、やる気が見られないのだが、その程度が普通ではない。すぐ寝る。日によってはまともに考えられる時もあるけれど、たいてい何を言っても聞いてない。もしかしたら脳に何か問題があるのではという彼女の話をさえぎって、私が言ったのは「それ、朝ごはん食べてるか確認したほうがいいよ」という言葉でした。

果たして翌週、その講師からの報告は、「本当にその通りでした。食べないことが多いそうです」というものでした。長年やっていると、そういう「シリーズ」とも呼ぶべき生徒群が思い出されるので、直観したのでした。しかし、今年はその私でも騙された、恐ろしいケースがありました。

小さい頃から覇気がないなあとは思っていた男の子ですが、理解は割合に早い方だし、何よりもその母が子育てに熱心な様子なので、可能性から除外してしまっていたのです。会うたびに、これこれこういう心配がある、大丈夫だろうかと、我が子のことを思いやっておられました。上品で美しく(というよりは、今思えば入念すぎる化粧だったのですが)なんてよいお母さんだろうと信じていました。
ところが、6年生になったこの夏の合宿で、みんなで朝ごはんに何を食べたかという話になったとき、彼は「パン」と答えたのです。みんなが味噌汁だサラダだと答えていたので、「それだけということはないでしょう」と聞くと、ううんと首を振ります。「バターやジャムは」と聞いても同様。「え、本当にパンだけなの?」と言うと、はいとうなずいています。「じゃあ、お母さん何してるの」と聞いたら、「寝てる」が彼の答え。夜の仕事でもない専業の主婦であるのにと信じられない思いで「でも、いつもじゃないでしょ、出発の朝っていう意味?」と聞くと、また頭を振りながら「いつも」。

シックスセンスという映画に出てきた子殺しの母親を思い出して、背筋が凍る気持ちでしたが、その話を私が彼から聞きだしたことを知ってか知らずか、秋になると急に退会されました。家のご飯を信頼できない子がどうなるのか、思春期以降が心配です。

私が子どもの頃、家族旅行に行くと旅館らしいご馳走が出てきて、大人である両親は喜んでいるのですが、いつも私はポソリと「うちのごはんが一番うまか」と言っていました。心の底から。子どもはそういうものと信じていましたが、現代の子どもも、そう思えているのでしょうか。この一年を振り返っても、多くの会社で食品の偽装が発覚しましたが、言葉と並んで文化の要である「食」が、この国では危機なのかもしれません。

実はつい先日、38度後半の熱を出してしまい、花まる創立以来初めて、病気での代講を立ててしまいました。年齢もあるでしょうし、無理もしているのでしょう。しかし、会社のソファで寝袋で横になって、風邪の菌との戦いに意識を集中させていたら、8時間後には、6度4分までさがりましたから、余力はありそうです。それにしても、厳しい企業間競争の中、15年間を生き抜くことができた最大の理由の一つに、一度も病欠しなかったことがあります。「体は資本」とはまことにその通りですが、その大元にあるのは、少年時代に野原を駆け巡った運動量と、おふくろのごはんだと思います。