高濱コラム 2008年 4月号

高校時代に修学旅行で同じ班を組んだ仲の良かった友人が、ガンで亡くなりました。トランペットの名人で、高校時代から大人びた発言が特徴で、最近は世界を飛び回る猛烈社員で、子どもの将来をしっかり考えている父親でした。40代での死は、何より残した家族を思って本当に無念だったと思います。

いよいよそんな歳なんだなあと感じました。確率論の中である年齢をピークに正規分布の死の曲線があって、その見えない底辺にへばりついた「線」に近いところから、明らかに「高さ」が見えるあたりの年齢になったんだなあと。死は誰にも平等に必ず訪れます。哀しんでいる同級生だって、あと60 年もすれば全員いなくなります。宇宙の悠久に比べれば、人の人生など、まさに流れ星が光って消えるがごとしです。

自分のそのときが、いつかなんて分かりませんが、最後の日まで「意味のある仕事」をし続けていたいと思います。「次世代のためになること」をしていたいと思います。

そんなことを考えていた折、花まる開始時に1年生だった子を一期生とすれば、三・四期生にあたる子たちが、3月になって挨拶に来ました。大学に合格したことを報告に来たのです。

一人は、私が直接指導した中でも5本の指に入る数学的才能の傑出した子。見事、国立の理系第一志望校を突破したそうです。小2だったと記憶していますが、サマースクール中に喘息の発作が起きても、毅然として自分でとっとと吸入をしていた冷静さが忘れられません。その後何人か触れていく中で、喘息の子を持つ親は自分も眠れないくらい大変だけど、意外とそんな子たちは、考える力・生きる力が育つことが多いですよと言うようになったのですが、その起点になった子でもあります。きっと、今時なかなかできない「死ぬような思い」を幼いときからする負の経験が、こやしとなって、生きる集中力につながっているのではないかと思います。「『なぞぺ~』を作る手伝いをしたい」と言ってくれています。

二人目は、「小3までに育てたい算数脳」にも載せましたが、新幹線の定規事件で泣いてわめいた少年。中学入学と同時に水泳部に入ったことがドンピシャで当って、鍛えることが楽しくなり、みるみるたくましく強い青年に変わっていったのですが、少年の頃から一貫して言っていた「動物にかかわる仕事」につながる学部に入学しました。一浪も決して悪くないなと思えるくらい、頼もしい姿で夢を語ってくれました。

三人目は、内気でもの静かだった男の子。心おだやかなお母さんに似て、平和的な美少年でした。理系の私立大学に合格したというので、最初に挨拶に来たのですが、講師をやりたいと申し出てくれました。甘くはないことを伝えた上で、翌日、研修として呼んだのですが、ネクタイ姿で登場。聞けば、自分は持ってないので、「父に借りてきました。」とのこと。その律儀な対応が彼らしく、また分厚くなった胸板に光る青いネクタイが、輝いて見えました。

冬の固かった木の芽が、少しずつ開いてくるこの時期は、卒業の季節です。せつない気持ちもしますが、決してお別れではありません。卒業生 諸君、青春の時代を、スポーツに学業にと満喫し、自分を鍛え上げてください。そして、ぜひいつかサマーのリーダーや講師として、戻ってきてくれれば、こんなに嬉しいことはありません。