高濱コラム 2008年 6月号

男子バレーボールチームが、16年ぶりにオリンピック出場を決めました。例えば柔道のように「金を何個とれるか」などと期待さ れている競技に比べれば、極めて地味な到達ですし、あと1点の最後の攻防では、選手たちは、肉体的にも明らかに疲労しきっていることが分かり、緊張のためでしょう顔面蒼白で相互の声かけもできないようなヨタヨタ感があふれていました。しかし、久々に感情移入できたし、感動できました。それは、まさに「壁を突破するドラマ」そのもので、16年という雌伏の時代があり、初戦のイタリア戦で、マッチポイントで7点差をつけていたのを逆転されるという悲劇的でみじめな経験があるからこそ、光り輝いたのでしょう。

こういう機会があると、いつも反芻するのは「人生、こういう勝利を何度経験できるかが、大事だよなあ」ということです。つまり、「勝てばいい」ということでは全くなくて、「心の底から感動できる勝利」ができるかどうかが人生の大事ということです。それは、自分に余力があるゲーム(例えば、小学生相手にサッカーで勝つというような)では、味わえません。「自分なりに必死でやってそれでも到達できるかどうかという目標設定」が肝心かなめの部分でしょう。それは「自分で決めること」でもあります。

思い出すのは、11年前にサッカーチームが初めてワールドカップに出場を決めた、「ジョホールバルの歓喜」です。もう駄目というところから、岡田新監督が勝利の女神に気に入られたのか、カザフスタンやウズベキスタンや韓国相手に、アウエーで引き分けや勝利を拾い首の皮をつなぎ続けました。いよいよ最後のイラン戦、1-0を後半になって2-1と逆転され、「もう駄目か」というところで、城のヘディングで同点。延長に持ち込んでも、何度かのチャンスを決めきれず、またもや「もう駄目か」という後半13分に、あの岡野の一点が入ったのでした。翌日、「子ども時代から犬より足が速かった岡野選手」などと言って、国中がはしゃぎ歓喜していたことを覚えています。

その後、自国開催でのワールドカップの試合を生で見るような機会もあったし、それはそれで面白かったのですが、あの岡野の一点の瞬間ほど、心を揺さぶられたことはありませんでした。それは、まさに「ドーハの悲劇」と4年間の切実な思いと、ヨレヨレでつないだ予選の各戦いという蓄積があればこそだったと思います。

自分自身を省みて、一番感動感激がピークだったのは、学校行事の一つに過ぎない中学2年生の合唱コンクールです。そのクラスは、ワルも多く、授業態度などでも「どうしようもない」と扱われているようなクラスでした。しかし、そのコンクールに向けて指揮者として私が半ば喧嘩ごしでクラスをまとめていくと、普段はさぼっているような生徒や、喧嘩ばかりしているような生徒も、真剣に取り組んでくれ、いい感じにまとまっていきました。とはいえ日ごろが日ごろですから、全く期待などしていなかったのですが、3位・2位と発表が終わるころには、「もしかして」という気持ちがうっすらとしてきました。そしてとうとう「優勝は・・・5組!」と言われた瞬間は、頭が真っ白になり男女関係なく涙で抱き合いました。

そういう経験は、人生を楽しく面白がって生きるコツのようなものを体得できるチャンスです。自分なりのギリギリの目標を設定して、考えて努力して達成していく。そんな「経験・実体験」を、子どもたちにたくさん与えてあげたいなと思います。