高濱コラム 2008年 11月号

ある小学校へ講演に行ったとき、一人のお母さんが、泣きながら相談して来られました。小4の男の子が、大好きだったお稽古事の先生が人事異動で変わってしまったことをきっかけに、調子が悪くなり、学校にも行けなくなってしまったということでした。限られた時間内では数分の傾聴しかできず、申し訳な い気持ちで学校をあとにしました。

ところが、たまたま数ヵ月後に再び呼ばれてその学校で講演をしたときには、そのお母さんの顔は、雨から薄曇に変わっていました。それは、学校にいる「技術員さん」と良い関係ができて、教室には行けない日があっても、その技術員さんに会いたくて、その子が学校に行けるようになったからでした。

もとはバスの運転手だったというそのおじさんは、魅力的な人で、毎日「あそこの並木の木の芽が出ているかどうか見ておいてくれる?」とか、「台風が来るらしいね。風速何メートルか、おうちの新聞で調べてきて、教えてくれる?」と、明日につながる小さなタスクを与え続けてくれたというのです。その方の家族構成や趣味などを報告する姿から、たくさんの会話をしてきているのがよく分かったそうです。

こういう関係を、ナナメの関係と言います。親や教師はタテ、友だちはヨコの関係であることに対して、どれとも違うナナメ(子どもから見ると斜め上)の関係のことです。子どもの健やかな成長のためには、色んな目上の青年や大人たちとナナメの関係を持てることが大事だと、あちこちで言われはじめています。確かに、評価者とも違う、どちらかと言うと「人と人の素朴な関係」の中で人生の先輩と話すことは、染み入るように自然によい影響を受けるでしょう。私自身、振り返れば、様々なナナメの関係に恵まれたなと思いますし、親も先生も言わない人生の本音のような一言一言に興味津々で、心の耳を澄ましていた記憶があります。

さて、つい先日、後半の授業が終了したとき、3年生の男の子たちがゾンビごっこをやろうと仕掛けてきました。睡眠不足で最 初は渋々でしたが、つかまえようとしても、子どもが床にへばりついて動かなくなるとゾンビには見えなくなるというルールにしたり、唐辛子の粉末(もちろん 想像上の)を投げられると、もがき苦しんだりと、やっているうちに、クリエイティブになってきてどんどん面白くなりました。

そして、最高潮に盛り上がったところで、我ながらこれはすごく怖いゾンビになりきったぞと感じながら子どもを追いかけたら、一人の少年が追い詰められた拍子に、よほど怖かったのでしょうジャンパーを振り回して抵抗してきました。モノを使ってはいけないよと言おうとしたが早いか、脳天でゴチッと音がしました。全力でヌンチャクのように振り回したジッパーの金具が、私の頭に当ったのです。そして流血。頭の血は大げさに見えますから、本物のゾンビのようになってしまったのですが、子どもたちは緊張した瞳になっているし、当事者の子はうなだれてしまうし、散々な収束でした。

子どもに罪はなく、現場の責任者としてやりすぎですし、妻の「いい年して、何やってんの」という言葉がもっともふさわしい大失敗でした。しかし、自分で自分を笑ってしまう、そこはかとない可笑しみが残りました。そして、ふと、こう思いました。今日のは失敗だったけれども、花まるの講師たるもの、遊ぶとなったら本気で遊ぶことは大事にしたいなと。そして、子どもたちから、親や学校の先生には言えない相談もしてもらえる、面白くて信じられるナナメの関係でありたいものだなと。