高濱コラム 2009年 9月号

おかげさまで、1ヶ月以上に及んだサマースクール・勉強合宿が、無事終了しました。「子どもらしく遊びつくす」プログラムは、若手スタッフが十分に運営できるようになり、この数年、私の問題意識は、その先、思春期だからこその貴重な成長の機会を提供できないだろうかということです。一つの完成形は自活と民家宿泊を軸とした青木村のサバイバルキャンプですが、今年は「高濱先生と行く修学旅行」という新企画を実行しました。故郷熊本を舞台に、少人数限定で三泊四日ずっと語り続けようというものです。

阿蘇・熊本城・湧き水の天然プールと続き、二日めは、水俣泊。蛍を観察中、星があまりにもきれいだったので子どもたちが盛り上がっていたら、宿の主人(大学の同級生)が、「もっときれいなところに行きましょうか」と誘ってくれるので、山の中の灯りが全くないところに移動。そこで見た星空は17年のサマースクールの中でも間違いなく一番きれいでした。天の川がただ見えるのではなく、まるで白い絵の具を垂らしたようにくっきりと 浮かび上がり、木星や夏の大三角はまばゆいほどに輝いています。新月なのにお互いの顔が分かったのは、星の明るさのせいでした。

翌日、水俣病資料館で、語り部の話を聞きました。当時のニュースフィルムで「4歳の小児性水俣病患者が確認されました」と、カクカクと足が震えながら歩く姿とともに紹介されている女性Mさんです。元気だったのに、幼児期に不自由になった人生は、どんなに重いことだろうと想像したのですが、54歳の彼女は笑顔にあふれています。「相手の企業をうらんでいますか」という質問にも「いいえー」と柔和な顔を横にふるのでした。ただもう感謝して生きていらっしゃることが、しみじみと伝わってきました。

いったい何故?その答えは、最後に見せてくれたスライドで分かりました。ご両親です。とりわけお父さんは、「今入ってもいじめられるから」と小学校入学を拒否。その良し悪しは別としても、ずいぶん可愛がってくれたそうです。ようやく10歳で、周りの説得に応じて入学。いじめもあったそうですが「やりかえしてやった」そうです。セピア色の家族写真のお父さんは、娘を守り抜くと誓った男の覚悟に満ちていました。

何もかもとりそろった中で、不幸せを感じている人も多いのに、恵まれない環境でもこれだけ明るく心満ちて生きていける。その基を作ったのは「親の愛」なんだなあ。やっぱり一番大切なものは、愛だなあと感じました。
話が終わったあと、資料館の写真や掲示物を見ているとき、6年のN君が、「高濱先生、さっきのMさんにもうちょっと話を聞いてもいいですか」と言ってきました。N君は、初日の夜に、怖い話をしてくれというので、とっておきの話をしたら、怖くなりすぎて眠れなくなり、私の布団に入ってきて「腕まくらしてください」とお願いしてきたくらい甘えん坊なのですが、このときの彼は考え込んだ内省的な目をしていました。

すぐに二人で受付に行き尋ねたのですが、すでに帰られたあとでした。しかし、12歳のN君の心を間違いなく揺さぶった手ごたえを感じ、嬉しく思いました。

その午後、人吉市へ移動し、私自身が泳いで育った球磨川の支流胸川で、みんなで遊びました。川のにおいは昔のままでした。そしてそこで、何かが乗り移ったように、私は生まれて初めて、泳いでいるハヤという俊敏な魚を素手でつかまえることができました。「やったー!」と魚を握り締めて立ち上がった空は青空。何だか故郷の山の神様が、「そう、それでいい」と応援してくれているように感じたのでした。