高濱コラム 『おたまじゃくしからカエルへ』

『おたまじゃくしからカエルへ』

 7月になってすぐの授業でした。早く終わった3年生の男の子二人が遊び始めたのですが、花まる漢検(現・花まる漢字テスト)も近いので、「漢字の練習をしようか」と言うと、いつもは「ハーイ」とやっていた子たちが、「え、やだ」「書く紙がないもん」と言い返してきました。私がちょっと厳しい表情をすると、結局はやったのですが、私は瞬間「あ、来たかな」と感じました。
 直感は当たっていて、授業終了後に、3年生のお母様方から、まるで申し合わせたように次々に、「言うことを聞かなくなった我が子」について相談されました。

 一人の子は、宿題をためがちになってきていて、それでもついこの間までは、「やらないと花まるやめさせるよ」と脅すと、泣きながらでもちゃんとやっていた。それが昨日「え、別にいいけど」と開き直ってきた。「もしかして、今のテーブルの先生と合ってないんじゃないでしょうか」というのが、お母さんの見立てでした。しかし、その講師の実力は折り紙つきで、原因は明らかです。私は答えました。

「○○君も、そういう時期が来たんですよ」

 それは、木々の若葉が一斉に芽吹く姿に似ています。ある年齢、ある季節で、子どもたちが一斉に心のステップを一段上がるのです。その学年らしくなるとも言えるかもしれません。1年生や6年生は、どちらかと言うと前向きな誇りのようなもの、3・4・5年生は、「幼児の殻」を脱皮し、親の思い通りにはならないぞとばかり反骨心のようなものが、形をはっきりさせていく感じです。
 ちょうど4年生の男の子からは「学校の担任への不満を理由に、本当に行かない日があった」と伝えられましたし、5年生の女の子からは「ダイエットに興味を持ったようで、朝ごはんを食べない。もうどんなに言い聞かせても、聞く耳を持たなくなりました」とお手紙をいただきました。

 それぞれにお母様は心配でしょうが、それは成長というものです。芽吹いた彼、脱皮した彼女という新しい段階の生き物として、親側が接し方を変える以外にはありません。3年生の例ならば、まだまだママのスカートのすそを握り締めながら悪態をついているようなものですから、ちょっときつくにらんで、暖かく見ていればいいし、5年生の例は、親ではなく外の師匠・コーチに厳しく伝えてもらうことが、一番効果があります。

 心が一本の木だとすると、彼等はもともと持っているエネルギーで、どんどん育っていきます。ついこの間までの彼や彼女と違うと心配する親心も知らず、その年齢で必要な行動を起こし、年輪として幹を太くし、将来「立つ」ためのたくましさを増していきます。
 さあ夏休み。麦わらをかぶって虫を追うような夏は、一生の中で実はそう何回もありません。しかし、我が身を振り返っても、その数回の夏、ひたすら毎日毎日山で虫捕りをし川で遊びつくした体験が、心の芯の方で、自分の感じ方・考え方に大きな影響を与えていると、しみじみ感じます。
 テレビやゲームではなく、自然の中で、汗びっしょりになって、走って笑って飛び込んで、空を、木々を見上げ感動する、本物の体験に満ち満ちた夏となりますように。

花まる学習会代表 高濱正伸